キャラ(クター)とは何か。その本質を、主にゼロ年代の文化コンテンツと社会現象と批評に対する独自的な考察を通して言い当てた、極めて意欲的な評論である。若者のキャラ化の現状や多重人格の症例の分析から、日本の漫画の特質やオタク・萌えの構造や村上隆のスーパーフラットなアートの革新性の解読まで、幅広い事例に依拠しながら、世界の多層性や物語の複数性を越境する「同一性」を成立させる存在という、キャラの核心の発見に至る筆致は実に刺激的だ。
「タイガーマスク」現象や「せんとくん」騒動の鮮やかな分析や、大塚英志と西尾維新のキャラクター小説の創作法に関する鋭い比較考察など、個別の議論がいちいち面白いのに加え、本書の終盤に向けて前面に出てくる、東浩紀氏の文化理論に対する批判とその再構築の作業が興味深いこと頂上級である。東氏のデータベース理論を最大限に評価しつつ、だがその理論的な弱点と静態的なニュアンスの不足を指摘し、創作者である人間とその精神のドライブに注意を向ける。そこから、「人間」の「固有性」の意味を論じていくことで「キャラ」の「同一性」とはあくまでも「人間」本性の発露であると位置づけていくわけだが、この辺は是非、著者の思索の詳細に実際にあたってみてほしいと思う。
ゼロ年代の代表的な文化論者はやはり東氏だろう。だが、彼の論を自己の趣味的あるいは政治思想的な相違に基づき外在的に批判する者はたくさんいたが、ここまで内在的に批判し先に進めようとした論者はほぼ皆無であっただろう。全く新しい批評を読んでいる、という感触が強くあった。