この作品は当時のN.Y.のストリート・キッズ達をドキュメンタリー・タッチで描いた刺激的傑作です。写真家であるラリーづラークは自らも麻薬に溺れた経験もあり二十数年間もの間、麻薬問題をテーマに写真を撮り続けて来た。
その彼が現代のセックス&ドラッグ&バイオレンスを切り取ったのだから凄い筈だ。乾いた映像のクールな視点に被さるフォーク・インプロ―ジョンの音楽も含め、作品全体の殺伐とした雰囲気は独特の魅力を醸し出している。主人公のバージン・キラーの異名を持つ少年テリーを物語の主人公に、彼が街をブラブラとほっつき歩くさまをカメラが追う。ただそれだけのことなのにカルチャー・ショックの連続で全く退屈しないところがこの作品の最大の魅力です。
が、明るいのはそこまでで、後半は少女ジェ二―がHIVに感染していることが判明。それからは作中に暗い憂鬱が漂い始める。相変わらず『若い時は自分の好きな事しか考えない。セックスが総てだ。』と云う生き方を続けるテリーと対照的に悩み続けるジェ二一。この対比が痛い切なさを突き付ける。この作品に触れて誰もが思うのはリビドー剥き出しのキッズ達に対する恐怖だろう。だがおそらく彼等に対しての怒りは其処には無いだろう。其れはこの作品に彼等の背景つまりアメリカと云う社会にこそ根源となる腐敗があることが描かれてあるからだ。そして最後に誰もが少年少女の儚さに祈りを捧げたい気持ちになる。それはこの作品に自らの少年時代を重ねてしまう瞬間が描かれてあるからなのだろう。