内容(「CDジャーナル」データベースより)
マルチ・サックス奏者、ジェイムス・カーターの3年ぶりのアルバムは、ビリー・ホリデイへのオマージュに満ちた注目作。ムーディで懐古的なサウンドの中にも彼らしい野性味あふれる味わいがある。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
ジェイムス・カーターのサックスを聴いていると、懐かしいジャズのハートが聴こえてくる。この3年ぶりの待望の新作はレディ・デイ、つまりあの不出生の歌手ビリー・ホリデイに捧げられているが、ビリーの時代のサックスの巨人ベン・ウェブスターやコールマン・ホーキンスらが、今に生きかえったような錯覚さえ覚える。80年代以後、ジャズの伝統は確かに再認識されたが、しかし、逆にこの時代の新人たちによって決定的に失ったものがある。それはこのカーターのサックスが強調してやまない表現の本気と言ったもので、大概が“のようなもの”の羅列になってしまったことだ。
ベンやホーキンスやレスター・ヤングなど、当時ビリー・ホリデイをとり囲んだサックスの巨人たち、そしてビリーは、それぞれスタイルの違いがあるが、みんな自分の声で、言葉で、語っていた。むろん、厳しく言えば、このカーターもホーキンス“のようなもの”といえなくもないが、これほど本気で押してくると、伝統と現代の壁がグラグラと揺れ動き、時を超えて表現のコアを共有するような強烈な光を放つ。デビュー当時から、オレは本気だぞ! とその容赦のない姿勢が一際鮮烈だったカーターだったが、その本領発揮である。
内容的には、ビリーの歌った曲とビリーに歌ってほしかった曲をストリングスやヴォーカルを交えて、さまざまに想像力を巡らせ大料理という感じだが、どれも意表を突く世界が生まれている。とりわけ気になるのが、あの代表作「奇妙な果実」だろうが、このすさまじい爆発は、歴史的な新世界と言いたくなる。単なるエネルギーの暴発ではなく、新しい怒りのカタチの創出なのだ。それを本気の表現の突破と言いたいのだが、いつだってジャズはそういうものだったのではなかったか。今回はサックスの中でも重量級のバリトンを多用するカーターで、甘美にナイフのように胸をえぐられる思いだ。 (青木和富) --- 2004年01月号