古居みずえ第1回監督作品 「ガーダ パレスチナの詩」。
とてつもない映画を見てしまった。
難病から奇跡的に回復し、そこで人生をやり直すべく44歳にしてパレスチナに入り、そこから12年にわたりフィルムをまわし、一人の女性をとり続けた。その名前はガーダ。のべ500時間。
ガーダは結婚をめぐってイスラムの伝統とぶつかった。けれども平和が訪れるように思えた。幸せだった。けれども2000年第二次インティファーダがおこり、幾度目かのイスラエル軍のガザへの侵攻が開始される。そしてガーダの甥が後ろから銃撃され、頭の中で弾丸が炸裂し、死ぬ。その子どもの死の床で、頭を撫で、キスをし、涙を流す場面を無言でカメラは撮り続けている。
撮影するものとされるものの、とてつもない人間の深い絆だ。そして12年を投入した力。いろいろな説明やなんやかやを吹き飛ばす力だ。
パレスチナ、パレスチナ難民という言葉が、いつのまにか政治的に、あるいは抽象的になってしまうことを拒否し、そこに生きる生身の人間、生身の一人の女性を通して一つの世界を捉える。
生身の人間がそこにいる、そこで生きていると言うことは、生活があり、愛があり、死があるということだ。生きていることを捉えると言うことは、生きている中で遭遇するすべてを捉えるということなのだと思う。
そしてそこがパレスチナなのだ。
1948年のイスラエルの建国以来、土地を奪われたパレスチナ人は難民となる。それから60年。何も何も解決しない。
戦争があり、占領があり、故郷を、愛するものを強奪する暴力がある。そして大地とともに生きてきた、故郷とともにいきてきた、老農夫が失われた故郷にむかってよびかける。悲劇があっても、何があっても、私は故郷と呼び続ける、と。
歴史と存在とすべてを奪う。そうしたパレスチナにあるあらゆるものが一人の人間の目を通して描き出される。
けれども悲劇は悲劇だけで成り立っているわけではない。そこに人間は生き続ける。家族を守り、生活を守る。その強さがある。笑いがあり、詩があり、怒りがあり、哀しみがある。出会いと別れがある。生きている人間のさまざまなものが凝縮され、そこにある。パレスチナは生きる人間の強さを教えてくれる。
そしてガーダはパレスチナ難民問題に焦点を当て、本を書いているという。故郷を忘れないために、歴史を忘れないために。自分たちの未来を託する子どもたちのために。