「機動戦士ガンダム」映画化!1980年のアニメ各誌を飾った記事はそれぞれにどんな構成で発表されるのか?その内容を当初「5部作」と紹介していた。一部のファンが期待したのは、本来打ち切り以前にプロットが立てられいてた
クスコ・アル編を復活させ、完全新作として制作されるのではないか?という期待が当時ささやかれていたが、実際には劇場版はまず3部作とし、テレビ放送されたシリーズに「繋ぎ」部分を新作画したものという決定が成された。
もう伝説的に伝え紹介されていることだが、視聴率と作品の内容とが必ずしも評価と同質のものでないことがガンダムにおいて証明されることとなったのが、第一作の誕生の起爆剤だったと思う。
病気でテレビ制作を中途で下りざるをえなかった安彦氏が復帰し、新作画をする。これがこの映画の当初のセールスポイントであったのは、当時の安彦氏の人気の過熱気味が窺えるのではあるが一方素人目に見てもテレビと比べて安彦氏の絵柄がほんとに変わっていたことが新作とテレビ版の落差となったことがトピックとして記憶される。
「ツギハギ映画」であると富野氏はキングのサントラLPのライナーに寄稿している記事を読んだ。各アニメ誌にも同様に富野氏は語ってはいるものの、それでもこの最初の劇場版は富野氏にとってもサンライズにとっても、松竹にとっても初の劇場用アニメーション作品でありお題目として興行の成功ありきが、まず何よりであり最初から続編は予定しつつもこけたら次はなかったというのがどうやら本当の話であったらしい。その結果はみなさんの方がご存知であるのだし、30年後まで「生き延びること」のできたフィルムであった。
富野氏のナイスなコメントに「フィルムを見ればわかります」というのがある。この映画が勝負を仕掛けたのは中・高校生のティーンだけではない。ロボットプロレスと蔑まれていた作品が背中を押されて劇場で一般作品を押しのける意味を当時のマスコミに対しても高らかに提示してみせた、という点かも知れない。
当時は校内暴力荒れ狂う時代であり、しらけた時代であった。そこに「翔んで」みせたのが「機動戦士ガンダム」であった。フィルムの中には時代が反映しているものだが、アムロはいじけたティーンであった。そんな等身大の姿が、当時のファンの共感を呼んだのだ。ガンプラ人気とひと括りに紹介されがちな昨今ではあるが、当時、この作品の持つ独特な世界観、人間ドラマに心惹かれたファンがこの作品を劇場に後押ししたのは、厳然たる事実であるように思う。2009年、お台場にガンダムは立った。テレビ43本を見るより手軽にガンダムに触れることのできるソフトではあるが、本作は「機動戦士ガンダム」44本目のフィルムでもある。テレビという制約を排した劇場サイズならではの試み、リテイクも随所に散りばめられている。
新しいファンのみなさま、古い仲間のみなさん、あの時代の青春の残照でもあります。ぜひ、ご覧下さい。