我が国においてラブレーと渡辺一夫はほとんど切っても切れない関係にある。ラブレーといえば第一に渡辺一夫。渡辺一夫といえばラブレー。渡辺一夫は、和漢古典の豊富な学殖をもって、ラブレーの諧謔を余すところなく伝えた。渡辺一夫のラブレー翻訳は日本翻訳史上の金字塔である。しかし、渡辺の訳は難しい漢語を用いたりして、学識ないものを突き放してしまっている所がないではない。
かくなる現状で、新訳をたたきだした宮下氏の意義は、はたして大きい。氏のラブレーはとにかく読みやすく親しみやすい。私のごとき浅学には、渡辺訳よりも却ってラブレーの文章が生き生きして見えた。とにかく可笑しく、面白い。笑う。ラブレーって面白いな。そう思うことが出来た。
渡辺訳と宮下訳の学術的な、また文学的な優劣は私には絶対につけられない。しかし宮下訳の現代的意義、これは絶対にある。