仕事の関係で手に取った。著者は元シンクタンクのアナリストだそうだ。
「日本の携帯電話は極めて高機能だが外国ではちっとも売れない、それはグローバルスタンダードから隔絶した孤立した環境で独自の進化を遂げたからだ、まるでガラパゴス諸島のイグアナのようだ」
これが最近流行りの「ガラパゴス化」の当初の意味だが、本書ではその比喩を携帯電話だけではなく日本全体に拡張して、現在の日本の停滞を考察しようとしたものだ。本書の定義によるとガラパゴス化とは「日本が独自進化して世界から逆にかけ離れてしまう現象(p4)」である。
日本企業、日本国、日本国民の3つについて、脱ガラパゴス化のためのアイディアを披露しているが、どうにもすっきりしない。例えば、ガラパゴス化せずグローバル化に成功した事例として柔道を上げている。しかし外国人に受けたらそれは「脱ガラパゴス」なのか。最近は日本食や漫画の人気も高いらしいが、それも「脱ガラパゴス」なのか。日本の漫画家で外国人を意識して書いている人がどれだけいるというのだろう?
少なくとも文化とビジネスは違う。
横割り世界史 (図解雑学)を読んでしみじみ思ったが、人類の歴史は即ち戦争の歴史で、戦争とは即ち「地面」の奪い合いである。そして、言い切ってしまえば、ビジネスとは「戦争」であり「地面の盗り合い」なのである。柔道やマンガが外人に受けるというようなレベルの話では決してない。著者にはこの視点が完全に抜けている。国境は決してなくなりはしない。そして国家は常に自国の繁栄を志向する。大前提はそこだ。
携帯電話に限らず、政治、経済、産業、教育等々全てにおいて日本に停滞感、閉塞感があるのは事実だが、なんでもかんでも「特殊な進化」で説明しようとするからわけがわからなくなる。「ガラパゴス化」というキーワードを最初に思いついたのは著者のグループだそうだ。はやり言葉の元祖、を強調したいのだろう。しかし著者がいう「ガラパゴス化」の内実はみなそれぞれ異なる。例えばソニエリに関する著者の見解は間違っている。エリクソンはノキアと安値競争になって儲からないから携帯電話を本体から切り離しただけだ。ガラパゴスとはなんの関係もない。
ガラパゴス、ガラパゴス、と選挙カーのように連呼しなければ、本書に書かれてる日本の状況分析自体は悪くはない。しかし、我田引水というか牽強付会というか、ご飯にもうどんにもそばにもパンにもみんなカレーをかけて食べるようなもので、いいかげん食傷気味である。その点が残念だ。