国際法廷にポト派の面々を引きずり出そうとするリベラル活動家の書。
被告として想定されている面々にも、その行為にもなんの弁護もする気は起きない。
しかし、この筆者達の言論には違和感を強く感じる。それは法廷において裁くことと
その法廷が有罪判決を下すことが完全にイコールであるとして描かれているからである。
裁判が始まるまえから有罪判決が定まっている法廷というのが法廷と言えるのか?
いつもこの手の政治裁判においては基本的な法の原則がないがしろにされていると感じる。
法廷がただの形式であり、最初から判決が定まっているのなら、仮に裁判が実現しても
被告は一切の希望を抱かないから、裁判自体を非難し、自己弁護を行うだろう。
フセインもミロシェビッチもそのように振る舞った。それは法の勝利なのか?
そのような根本的な所に大きな疑問を感じる書であった。
なお、筆者の言う裁きを妨害するために必死なフン・セン以下カンボジア政府の
外交的な立ち回りのタフさ、冷徹な現実主義の方に私はむしろ感銘を受けた。