半世紀前、クライバーといえばエーリヒだった。今なら息子カルロスである。本書は今年生誕80年を迎えるはずだった彼の、恐らく初めての本格的評伝。上巻はバイロイトを去る1976年まで。
彼の生涯は偉大な(理想化された)父の背中を追うことのみに終始した。どんな賞賛も彼には無意味。彼の規範は世間にはなく、理想とする音楽を鳴らすことだけが全てであった。叶わなければ指揮を拒否した。疾風怒濤期のみで人生を終えた永遠の青年。人格形成上の親殺しに失敗した可哀想な青年。彼は果たして、自身の天才を自覚していただろうか?
膨大なインタビューが記述の中心である。非常な労作であることは認めるが、総じて未整理な印象があり前後で矛盾を感じる部分もある。また誰の発言も要するに彼の天才と奇矯な言動についての証言であるから、些か単調になる部分もある。ところで、一人の人生を描くのに、インタビューは果たして万能だろうか。物事の評価は、語る人が変わればまったく変わる。私はそれを「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」(新潮選書)で経験済みである。クライバーのように資料が少ない人の場合、他に書き様もなかろうけれど、これだけ精細な評伝であっても隔靴掻痒の感は免れ得ない。また、演奏については全編、賞賛の辞で埋め尽くされている。確かに彼が遺した正規の録音に文句のつけようなどなく思える。しかしたとえば「大地の歌」(1967年)の海賊盤が高い評価を得ているかと言えばそれは否。彼は本当に、デビュー以後一貫して無敵の将軍であったのか?
翻訳は概ね読みやすいが、この訳者(の一方)の通弊として、個々の文だけ見れば意味が通っていても、時に前後のつながりが希薄に思えて気になる。そのためルーティーン・ワークに見えてしまう。もっとも、流れのよい部分もあり、そこは主訳者が違うのかも知れない。なお下巻は未読。楽しみ。