ジロラーモ・カルダーノ(1501-1576)が晩年に執筆した自伝である。「ルネサンス万能人の生涯」という副題が訳者によって付けられている。「ルネサンス万能人」といえば誰でもダ・ヴィンチを思い起こすが、「あとがき」によれば、カルダーノの父はダ・ヴィンチの友人であった。
たしかにカルダーノの活動は、父の著名な友人に劣らぬ多彩なものであった。本書45「著書 − その執筆年代および動機と評判 ―」に挙げられているちょうど100の著作は、「数学」「天文学」「自然学」「道徳哲学」「医学」「神学」「占い」そしてその他の「雑纂」に分類されている。「雑纂」の中身がまた多様で、いくつか面白いものを挙げると「ソクラテスの熱中について」「名士の書について」「賭事について」「いかさまについて」などがある。
たしかに1日に10時間眠り、40年以上チェスに、25年以上骰子遊びに「毎日」時間を浪費しつつ、これだけの著作を書くというのは並大抵な人間ではない。
もっとも、著作のリストを目にして読者が感じるのは、「万能人」という穏やかで神秘的な印象とはほど遠い、ある種の猥雑さといかがわしさであろう。
カルダーノは自らに守護霊がいることを信じ、様々な些細な出来事の中にも大事件の兆候を読み取った。その中で最大の災厄は、彼の長男が産褥の妻に毒を盛った罪で(濡れ衣か?)処刑されたことである。さすがのカルダーノにもこれはたいへんこたえたようで、本書の中でも長男の死にしばしば言及している。
自らの特異な才能に関する自覚と自負は、37「天賦の才と夢見る才」、38「5つの天性による救い」、43「超自然的な才能について」にまざまざと描かれている。たとえば、彼は100回以上、人間の声で話す鶏の夢を見た。また、彼の耳には彼についての人の噂が文字通り飛び込んできた。しかも、噂の善し悪応じて耳からの入り方が違っていた。(なんとも重宝なことだ。)
本書にはまた古代作家を模した人文主義的な格言が散見されるが、カルダーノの格言はエラスムスやモンテーニュのそれに比べて、古典的な均整を欠いているものが多い。以下、(まったく個人的な理由から)気に入ったものを2つ挙げる。
「生存の因子には最高7つの要素がある。空気、眠り、運動、食べ物、飲み物、薬、節制。種類は15ある。空気、眠り、運動、パン、肉、乳、卵、魚、オリーブ、塩、水、無花果の実、ヘンルーダ、葡萄、味のきつい玉葱。」(8「食生活について」) − それにしても、なぜ、ヘンルーダや味のきつい玉葱なのだろう。
「ものの考え方を変える要因は3つある。年齢と幸運と結婚である。」(50「座右の銘と息子に寄せる挽歌」。因みにこの訳に関しては、榎本恵美子・青木靖三が訳したように、「幸運」ではなく「運」としたほうが良いように思われる。) ― 真偽はともかく、結婚式のスピーチに使える。
ルネサンスという爛熟した時代が作った特異な怪物を、われわれは本書を通じて観察することができる。幸か不幸か、このような人間にわれわれはもはや会うことはない。
なお、先に触れたように、本書に関しては、榎本恵美子・青木靖三による『わが人生の書』という題の訳も出ている。2つの訳を部分的に読み比べてみたが、とくに優劣はつけがたかった。