中国や朝鮮に向けた明治期日本人の眼差しが、典型的な軍事力奉信のそれで、本書が取り上げた「錦絵」という、もっぱら一般庶民を対象とした平明な媒体のところからして、すでに中国人、朝鮮人への侮蔑感情を養うばかりに方向づけられていたことが、まことに実感として好く解る書籍になっている。
何の衒いもなく「強い」ことが唯一「正義の証し」であり、腕力で劣った者に対し「劣等」、あるいは「悪役」というイメージを当てはめて憚らなかった戦前期日本人の独善的なアジア観が、いつ、何処で、どのように形成されたかを明らかにするものと高く評価する(ただし、実際に錦絵に描かれたような双方白刃を揮っての激突が日清戦争で生じたことは一度もなく、この戦国絵巻のような戦闘場面は、あくまでも画家が想像で描いたフィクションなのは、予めご承知いただきたい)。
が、しかし、「韓日戦争」なる決付けとなると、歪曲も甚だしく、まるで評価できない。
おそらく軍事知識皆無のため、手にした資料に記載ある事実を、予断から誤って解釈してしまったのだろうが、単発式村田銃しか持たない僅か2個大隊1200人の兵力で何ができると思うのか。
日本による朝鮮支配の不当性を強調するあまり、しばしば、ものごとを合理的に捉える眼を自分から曇らせてしまう事例を見掛けるが、本書も、その一つ。
機関銃を装備して要塞に立籠もった1個大隊の将兵に、槍しか持たない人民軍3千が押寄せた(ズールー戦争)というなら知らず、日露戦争後の義兵蜂起のとき、1個師団(約1万5千人)以上を投入した日本軍が、どれほど翻弄されたか、どれほど鎮圧に歳月を必要としたか、比べてみれば容易に解ること。
東学党第2次叛乱にさいし、鎮圧に向かった戦意の低い李氏朝鮮国軍隊の背後で、日本軍が督戦隊の役割を果たしたこと、討伐軍が叛徒と民衆を区別せずに暴虐だったこと、とくに強固な叛徒には日本軍が率先して立ち向かったことなどの事実は否定しない。しかしながら、嫌々であろうと何であろうと、討伐軍の主力は朝鮮軍だったし、これが日・朝両国軍共同の軍事作戦だったことは、いまさら隠しようもない。
短絡的に「韓日戦争だった」と事実を捻じ曲げ、李氏朝鮮王朝みずからが果たした役割に頬っ被りを決め込むなど、低級な「反日宣伝」たる謗りを免れるものではない。こんな姑息で底の割れたズルをすることは、「日本は朝鮮で良いこともした」式の論者に植民地朝鮮統治を賛美する材料を提供するようなものではないか。却って彼らを勢いづかせてしまうと、どうして気付かないのだろうか。
貴重な資料を発掘した研究には大いに敬服させられた。しかし、このような偏見に満ちた執筆姿勢が、すべてを無に帰したというべき。
この問題、一部では知られていたが、一次資料がきわめて限られ、実態が正確にはよく分からなかったのが本当のところ。さらなる資料の発掘と研究の進展を期待したい。