今年はカラヤン生誕100周年である。しかし、そのことがクラシックファンの間でもあまり
盛り上がっていないことは、さすがのアンチ・カラヤン派の私にとっても残念なことである。往年はカラヤンは指揮者の代名詞とも言える時代があり、ベルリンフィルの首席指揮者、ウィーン国立歌劇場の音楽総監督、ザルツブルグ音楽祭の総監督、ミラノ・スカラ座ドイツオペラ部門の首席指揮者の座をすべて手中にし、「帝王」と呼ばれ全世界で売ったレコード・CDは、1億枚以上といわれる栄光の時代を知る身には、アンチ・カラヤンファンであっても一抹の寂しさを感じざるを得ない。
カラヤンは多くのファンに賞賛された大スターであったが、一方、権力やカネを一手に握り、またその音楽も外面的に仕上げるすぎるなどと批判的に取り上げられることも多々あり、カラヤン派とアンチ・カラヤン派の永遠に結論の出ない論争は大いに盛り上がったものである。
本書は小学生の時に、カラヤンを知り、その後、カラヤン亡き後の今に至るまでカラヤンを追っかけてきた日経記者の力作であり、カラヤンの実像に肉迫しているとの印象を強く持った。
また、本書の題名にもあるように、カラヤンと日本の強い関係についても多くのスペースが割かれている。それは、ソニーという日本企業とカラヤンとのビジネス上のつながり、そして声楽家からソニーのトップに上り詰めた大賀氏がカラヤンと特別の親交があったため、世界的に見ても、欧州以外の地域ではカラヤンと日本の結びつきは我々の想像以上に強いものであったことが本書を読むと良くわかる。
一時期、クラシックファンの間でカラヤンかクライバーかという論争があったが、本書によると、そのクライバーは実はカラヤンを尊敬していたというエピソードには本当に驚いた。
カラヤンは膨大なCDやレコードを売っているが、ベルリンフィルの楽員の間では「本当はライブの方が凄い」という声が多かったというエピソードにはアンチ・カラヤン派の私もうなずける体験をしている。
小学5年生の時、私は学校を休み、一人広島から大阪のフェスティバルホールまで行き、カラヤン指揮のベルリンフィルのコンサートに行った。最後の曲であるドボルザークの交響曲第8番のフィナーレの部分になったとき、それまで、「いわゆるカラヤンスタイル」の演奏であったのが、突然、指揮するカラヤンもオケのメンバーも様子が変わり、音楽もライオンが牙をむいて向かってくるような大音量と猛迫力になり、演奏は終わった。聴衆は大きな拍手とブラボーの声でその演奏を賞賛したのであった。本書を読みあれが「本当はライブの方が凄い」ということだったんだなと、遠い昔を思い出さされた。
ちなみに、アンチ・カラヤン派である私も演奏の最後のフィナーレの部分には圧倒され、演奏が終わった時には、腰が抜けたとは言わないが、しばらく席から立てなかったことを今なお、鮮明に記憶している。あの時に聞いたベルリンフィルの大音量は、冗談ではなく、フェスティバルホールの床の底が抜けるのではないかと心配したほど強烈であった。私も数多くのコンサートに行ったが、後にも先にもオーケストラのあのようなド迫力の音は聞いたことがない、それも音楽性を崩さずにだ!
本書には、この他「CDの録音時間を決めたのはカラヤンなのか?」など、クラシックファンなら興味深いエピソードに満ちているが、それは本書を読んでのお楽しみとさせていただく。
ちなみに、アンチ・カラヤン派の私が崇拝するのはフルトヴェェングラーである。アンチ・カラヤン派の多くはフルトヴェングラーファンであったと思う。もちろん、本書には、その両者の関係に関わる興味ある部分も大きなテーマとして取り上げられている。