「ティファニーで朝食を」や「冷血」で名高いアメリカの作家、トルーマン・カポーティの伝記です。出生や両親についてから始まり、その死に至る過程をたいへん丁寧に、時に辛辣に描いています。しかし、「冷血」を頂点にその私生活のみならず創作活動までが破綻していく様は、初期の繊細な作風をあのまま維持していく別の選択肢はなかったのかと読んでいて思わずそんなやるせなさにもとらわれます。「インノセントの死」という空々しい言葉を思い出しつつも、しかし、別の選択肢といっても「サリンジャーの沈黙」しかそこには残されていなかったようにも思われます。また、「叶えられた祈り」発表後の孤立も、カポーティには仲間はずれにされた小学校高学年の女子児童さながらのダメージを与えたのではないか、ローレンス・グローベルの「カポーティとの対話」でのお酒の力を借りた元気もやはり強がりなんだなあとか、いろいろなことを考えてしまいました。しかし、たしかその「カポーティとの対話」にはカポーティが本書の存在をすでに知っているふうの記述があったような気がするのですが、実際本書を手に取ったならば、また彼一流の強がりを見せてくれたのかもしれないと思うと、生きながらえてどんな作品でもよいので書き継いでくれて、どんなかたちででも別の最後を見届けたかったような気にもなりました。
追伸:カポーティが本書の存在を知っていたという上記の記述は誤りで、カポーティが「カポーティとの対話」で触れていたのは、最近新潮で文庫化されたジェラルド・クラークの著作についてでした。強がりも言えなかったかもしれませんねー。