興味深く観たのは、カポーティの「社交性」の描き方。
当時を代表する人気作家で社交界の寵児である。 若くして社交界で天才とあがめられる人間にありがちな尊大さよりも、類い稀な共感性をもって人の心をつかむテクニックを持っている。谷崎潤一郎が、初対面の相手には真っ先に深々と頭を下げて名乗る腰の低い男であったことを思い出す。
NYの社交界の面々、カンザスの保安官、刑務所長、そして一家惨殺事件の犯人ペリー。
それぞれの職業や立場をわきまえ、相手が自分について何を感じしているかを理解した上で、言葉巧みに抵抗感を解きほぐしていく。カポーティの、天空を翔けながら虫眼鏡で人の毛穴を覗くような、イノセントで夢想的ながらもなぜか生々しい作品群は、この感受性に裏打ちされていると思う。
ペリーのことを「金鉱」と呼ぶカポーティを、作品と名声のためにあらゆるものを利用する「冷血」な男と見ることもできるだろうが、彼の才能は冷血を超え、もっと複雑に病んでいることを本作品は示している。
彼は冷血どころか、ペリーの心の奥を覗き込むためにあまりに深みに入ったようだ。ペリーに死刑が執行されるころにはカポーティは精神を病み、『冷血』という作品は高く評価されながらも、それ以降作品を書けなくなる。
多くの人を虜にした自分の作家的洞察力が、犯人ペリーの陰影をついに捉えることができなかったと、カポーティは感じていたのだろうか。この作品は、1人の天才小説家の敗北の記録と観ることもできる。