舞台は本土復帰前1968年の沖縄。主人公は、機械部品店を営む地元出身の朝栄、ベトナム人であることを隠している安南、ロックバンドの若きドラマー、タカ、そして、カデナ基地に務めるアメリカ空軍女性下士官フリーダ・ジェインの四人。秘書官のジェインが持ちだしてきた軍事機密――ベトナムでの次の攻撃目標はどこかという情報を、リレーしてベトナムへ打電する、四人の素人スパイの物語だ。
しかし、四人の誰も声高に「戦争反対」を唱える者はいない。「みんな自分の気持ちからやっている」のだ。但し四人とも、戦争は攻撃される側も攻撃する側も不幸にする絶対悪で、その累は遠い未来へも及ぶ、ということを痛いほど理解している。つまり、池澤氏の発想には、大多数のアメリカ人のごとく(オバマ氏の、ノーベル賞受賞スピーチでも明らかだった!)、戦争には「よい戦争」とそうでない戦争がある、という考えなど一切ないのだ。
物語は、「あのバカみたいに大きなB52」が離陸直後に基地内に墜落する、という実際の事件でクライマックスを迎えるが、その爆撃機のパイロットこそジェインの恋人パトリックだった。そして、パトリックがずっと性的不能だった理由は、ヒロシマ・ナガサキに深く関係していたことが明らかにされる…… 。
この話には、アメリカの戦争物のような派手なアクションは出てこないうえ、ベトナム戦争ばかりか沖縄の基地問題、第二次世界大戦の爪痕、核兵器、そして国家と個人、つまり愛国心と裏切りという重いテーマまでが問われているのに、不思議に心にすっと入ってきて、とても読みやすい。それは、絶妙のタイミングで挿入されるなよやかな沖縄言葉が、心地よいリズム感を生み出しているせいでもあろうし、繰り返し説かれていることの高潔さが、読む者の胸を打つからでもあると思う。組織あるいは国家にのみこまれず、個人でいつづけることの大切さと困難さ、がそれだ。
この作品は、戦争という人類の生み出した「子ども」を、文字によって語り継いでいこうという作家としての気概、あるいは覚悟のようなものが伝わってくる、池澤作品の最高傑作の一つではないだろうか。