米国統治下の沖縄を舞台に、沖縄人のアイデンティティーの真の姿を描き出そうと、
作者は沖縄人である主人公のほかに、中国語学習サークル仲間の下記の3人を交互に配置し、
それぞれの人物間の相関図を作ろうとするかのような作業により
沖縄人が置かれている複雑な民族関係を可視化しようとする意図を強く感じた。
1.人物A:米国人。米軍居住地に住み、主人公らをカクテル・パーティーへ招待する。
西洋的合理主義から沖縄文化への理解者に見えた。しかし米軍における真の役職は実は隠されていた。
2.人物B:中国人。中国大陸から沖縄へ渡った弁護士。
戦争中、中国大陸を渡り歩くが、日本軍の侵攻と深い関係があったもよう。
3.人物C:日本人。新聞記者。いわゆる本土出身。
主人公と同じ日本人であるが、人物A、Bと同様に、本作品では主人公に対置して描かれる。
前章ではカクテル・パーティーに参加した4人によって
沖縄の歴史や文化、さらに踏み込んで沖縄の帰属の在り方にまで話題が進むが、
ほろ酔いでの会話として構成され、固い議論に陥らないよう、小説としての持ち味が生かされている。
しかし後章では、4人が再び会合で集まるものの、主人公のなかで、何かがはじけていた。
実はカクテル・パーティーとほぼ同時刻、彼の娘が米軍関係者による犯罪により凌辱された。
パーティーの華やかさの裏で、沖縄人を取り巻く何か“偽られたもの”を象徴する犯罪が起きた。少なくとも主人公はそう考えた。
だが、米国人は被害者と加害者の関係を被占領者と占領者という図式に対比するのを忌避し、
中国人は占領者と被占領者という図式を、中国大陸での日本軍と中国人民との関係に置き換える。
パーティーでお互いわかりあえていたように見えながら、主人公の“痛み”の主張は、他の人物から微妙な“距離”を置かれる。
主人公の当事者意識に対する他者からの否定や疑問は、その当時の沖縄人が、沖縄以外の人々(日本本土も含めて)
から受けていた“無理解”を象徴しているように思われた。
最後に、主人公は娘に対して、米国人や中国人がおそらく傍聴する裁判で「健康いっぱいにたたかってくれと祈る」。
それはすなわち作者の沖縄人全体への期待であり、「そこに虚妄はない・・」という言葉でこの物語を終える。