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オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判 (岩波現代文庫)
 
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オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判 (岩波現代文庫) [文庫]

姜 尚中
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商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

オリエンタリズムとは西洋の東洋に対する文化的支配の総体を意味する.本書はウェーバー,フーコー,サイードらの思想的な水脈によりながら,近代ヨーロッパに確立した支配のシステムを明らかにし,同時に,近代日本の知識人がどのようなアジア観を持ってナショナル・アイデンティティを創出していったかを論じる.

内容(「BOOK」データベースより)

オリエンタリズムとは西洋の東洋に対する文化的支配の総体を意味し、西洋という観る側の意識に存在する言説である。本書はウェーバー、フーコー、サイードらの思想的な水脈によりながら、近代ヨーロッパに確立した支配のシステムを明らかにし、同時に、近代日本の知識人がどのようなアジア観を持ってナショナル・アイデンティティを創出していったかを論じる。

登録情報

  • 文庫: 295ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2004/4/16)
  • ISBN-10: 4006001193
  • ISBN-13: 978-4006001193
  • 発売日: 2004/4/16
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 1.6 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 3.0  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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形式:文庫
著者は、本書のあとがきにおいて、本書の主題を以下のように述べている。
「本書のメッセージは、「イスラム」や「西洋」、「日本」や「朝鮮」といった概念には本来、存在論的な安定性などないにもかかわらず、それらが「他者」を断定したり、識別しようとするなかで明確な輪郭をとるようになったことを明らかにすることである」
本書は著者の6つの論文から成っているが、それらはいずれもこの主張が通奏低音となっている。

第一章・第二章においてウェーバー・フーコー・サイードの思想的な繋がりが着目され、「規律」が客体を・オリエンタリズムを生み出していった過程が鮮やかに描き出される。

第三章・第四章では、日本の屈折したオリエンタリズムが歴史的視点で語られる。我が国で「東洋」が語れるとき、無意識に日本がそこに含まれないことが多いが、その濫觴がどこにあったかを解き明かすのである。我が国の対外進出(侵略)について考察するときに、ここで示される視点は極めて重要であろう。

第五章・第六章においては、ウォーラースタインの世界システム論に依拠しつつ、オリエンタリズムの観点をそこに織り交ぜながら現代の世界政治を浮かび上がらせている。「ポスト・コロニアルの時代にも人間の多様性や複合性を隠蔽あるいは排除する支配の様式は清算されていない」ことが見事に示され、脱オリエンタリズムのための知/実践のあり方が提示される。

「<他者>とは誰のことであり、<他者>はどのような言説の機制やシステムを通じて「創造」されてきたのか」、この問いを常に持ち続けることは、現代を見る上で欠いてはならないだろう。そのことによって初めて「オリエンタリズムの彼方をみはるかす地点」が開かれてくるのだ。

本書のような名著に出会えて私は幸せであった。大きな知的満足と刺激を本書は与えてくれるだろう。読み応えのある本である。得るものは非常に大きい。

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形式:文庫
この著書は近代世界を規定する「近代性」という特殊な価値体系をもった「思想」の形態を、ウェーバー、フーコー、そしてサイードの理論に依拠して批判的に論じたものである。この「近代性批判」の延長として、近代日本国家の屈折した在り方をも明確かつ鋭利に抉り出している。

第1章 規律と支配する知-ウェーバー・フーコー・サイード
第2章 制度としての知/権力としての知
第3章 日本の植民政策学とオリエンタリズム
第4章 「東洋」の発見とオリエンタリズム
第5章 世界システムのなかの民族とエスニシティ
第6章 脱オリエンタリズムの思考

第1章においては近代における規律と支配の関係が論じられる。

まずウェーバーの近代性理論が論じられる。ウェーバーは近代社会を「近代官僚制」という視座から明らかにした。近代官僚制とは近代国家の成立に伴い発生した、膨大な量の行政事務を処理する必要から、高度に分業、職業化した専門家集団からなる組織群のことを指す。この「官僚制」は軍隊、学校、工場などの諸近代装置においても貫徹されている。そして、官僚制に関しての重要な特質として、合理性、効率性、没人格性に基づく集団的規律性であり、まさに機械の如く機能する巨大装置として描かれる。

次にフーコーの「規律社会」について述べられる。ウェーバーの叙述した学校、軍隊、刑務所、病院などの諸近代的装置の張り巡らされた社会において、人々は絶えず監視の目が行き届く管理空間において存在し、その秩序や規則を破ろうならば瞬時に罰せられる。結果人々は常に見えざる「他者」の視線を感じ、強制的かつ自らの意志で監視、規律するようになる。これがかの有名な「パノプティコン理論」である。

近代性に基づく世界はある一点を基点として碁盤状に整然とかつ無限に広がる、西洋絵画における遠近法に基づいた視覚空間に例えられる。以上の過程において合理性、効率性などの近代的価値観は深く内面化、身体化される。近代世界においては時間、空間、身体でさえ規律的な支配の秩序に組み込まれる。

著者が論ずるに、ウェーバーが近代性をマクロな視点から、フーコーはミクロな世界からこれを描き出した。前者の「鋼鉄の檻」、後者の「権力の網の目」という語はこの対応にそれぞれ合致するといえよう。

ここで近代的知の支配のシステムとしてサイードの「オリエンタリズム」理論が参照され、近代性が植民地主義を必然的に含んだ(他者支配のための)権力的言説体系の根幹を成していることが示されるのである。

翻って近代日本における「オリエンタリズム」が論じられる。他のアジア諸国に先駆けて「近代化」した日本は、一方では西洋列強と肩を並べる「先進国家」として、そして帝国主義勢力の一員として振舞いつつも、他のアジア諸国に対しては「同胞」であり、「領袖」であるという立場を取ったのである。

これが一方では帝国主義的侵略を強力に行いアジア諸国を植民地化ながらも、同時に彼らを西洋帝国主義から「解放」するという究極の二重基準を(絶対無などの神秘的修辞で表象された)現人神天皇、そして(八紘一宇などの融通無碍な理論を主柱とした)皇国日本というイデオロギー体系の総動員によって強引な解決を図るらせるに至った。

このような近代性批判の後には一体何がなされるべきであろうか?無論これが東洋の精神主義などの密教的修辞による近代の超克であろうはずはない。

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」

とはサイードが『知識人とは何か』において提示した知識人に関する命題であるが、このような知識人が体現する思想が正に現代において在るべき「知」の形態ではないだろうか?

近代性、またそれと不可分である近代的知の体系により齎された害悪は、修正された新たな「知」でもってあたる他はない。本著が示した近代社会の病理は「ポスコロ」、「カルスタ」という知的流行上の言説に止まるべきではない。

日々不正、抑圧の構造を再生産し続ける社会に対していかに「関与」するのか、いかに「知」ろうとするのかという「問い」を突きつける「倫理的」営為であり、一社会における「常識」という日常性から紡ぎ出される「政治性」を有効に暴き出す極めて「実践的」営為なのである。
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32 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
願望 2007/12/7
形式:文庫
 学術的な著作と言うよりはかなり思い入れの強い書物です。たとえば
 181ページにおいて著者は「ボスニアにおける自滅的なナショナリズムの拮抗」(著者は現在なら民族主義による虐殺というはずだが・・・)は、「ヨーロッパ合衆国のなかでアメリカ合衆国の黒人やヒスパニック系諸民族の地位に転落するのではないかという不安に駆られたとしても、決して不思議ではない」と述べています。
 それはないでしょう。そもそもマケドニアが台湾と国交を結んだため、キレタ中国が、国交を結んだ翌日、国連軍撤退を強硬に主張し、撤退したため虐殺がおこったのですから。
 ですが議論は世界システムと反システムに収斂され、プロレタリア化の話に進んでいきます。
 本書はそもそも1996年に出ているのですがこの文庫版ではなぜか、ソ連の飛行機を利用した経験が語られ、ソ連のシステムが崩壊することを予感していた、旨が述べられます。
 その後イランで「アメリカに死を!」と叫ぶ群衆に対して、「恐ろしさを感じるかもしれない」が、生き生きと議論するドイツ在のイラン「留学生(?)」を見てイメージが壊れたのだという。
 更にイラン革命による治安部隊による虐殺のなまなましさが日本では報道されていないことに注意を促す。が、それをしなかったのは左派メディアなのだが・・・。
 無論それらのメディアは文革やスターリンの所業についても報道していないのだが。
 まだ論点は多いが、ところどころにはさまれる世界情勢に対する解釈がアクロバティックだ。それらが正しいとするなら世界的大発見といえるであろうしもはやマルクス、ヴェーバーの域であろう。
 ドイツに行くだけでなくほかの世界にも目を通していただきたいと感じた。
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