ミステリーとしても、ラブロマンスとしても、欠点はあるものの、読みごたえのある作品。
ホラーとしては、「怪奇ロマン」というジャンルらしいが、現代の我々の目には「B級」と映ってしまうかも。
また、解決されないトリックが存在するので、推理小説と期待して読まないように。
ルルーは、身分違いの恋に身を落としてしまったラウル子爵を、叶わぬ恋に命をかけてしまったエリックと重ねて描写している(愛する苦しみについて言及したラウルが「エリックのことでもあるし、僕のことでもある」と答えるくだり)。
読者がエリックの感情を読み解けるようにしているのだろう。
また、ペルシャ人がエリックについて語る様子を、ラウルに「僕がクリスティーヌに対していだく憐れみと同じものを感じる」と語らせ、ペルシャ人とエリックの深い交流にも言及しようとしている。
「エリックを憎んでいないからこそ、彼の行いに苦しめられる」と語るペルシャ人の言葉は深い。
しかしそういった人物描写が、一読しただけでは伝わりにくいようだ。
ルルーはエリックを「世界の帝国がすっぽりと入るくらい広い心を持っていた」と描写するが、読者のレビューを読んでいると、それが伝わっていない読者も多い。
思うに、主人公ふたり(エリックとクリスティーヌ)の謎を、青年ラウルが追う、という、推理小説に定番の構成で書きながら、ルルーは、エリックとクリスティーヌの感情の流れを、個別のプロットとして書き出していないのだろう。
そのため、読者は主人公ふたりの心理的な動きに感情移入しずらくなっている。
「謎の人物」であるエリックだけでなく、「普通の女性」であるはずのクリスティーヌまで書き込めていないのは、やはりまずい(これはロイド・ウェバー版ミュージカルにも言えることだが)。
翻訳については、三輪さんが訳された版のほうが、原作の意図が伝わりやすいかもしれない。
ただ、読みやすさでは、角川版にやや軍配があがる。特に会話文が自然だ。
クリスティーヌがエリックにいだく感情について、角川版では「嫌悪感」と訳され、もう一方では「恐怖心」と書かれている。
重要な部分に違いがあるので、読み比べてみることもオススメ。
ロイド・ウェバー版ミュージカル、そこから派生したJ・バトラー主演の映画との対比が、よく語られているが、映画ではすべてを美化した分、登場人物の深みが薄れてしまった感がある。
原作のクリスティーヌは、ファントムの仮面を燃やしてしまうほどの強さを持つ女性。強さを持っているがゆえに、最後は彼にキスをあげられるのだろう。
ミュージカルでは純真であっても、か弱い少女のようで、もったいない。
原作のラウルは頼りなくて、好みは別れるだろうが、私はかわいらしくて好感を持てた。
そしてファントムだが、原作小説では姿も行動も恐ろしい分、絶望も孤独も、それゆえの激しすぎる気性も、そして彼の持つ才能のすばらしさも強く感じることができる。
映画やミュージカルからオペラ座を知った方にもぜひ、ガストン・ルルーの小説を読んで、エリックを愛していただきたい!