オシムが倒れてから3年近くが経つが、リハビリに成功した彼の知性に衰えは感じられない。
もはや監督として指揮を執ることはおそらくないであろうにもかかわらず、
この人は相変わらずとても真面目に(そして時には乾いたユーモアを交えつつ)
サッカーに取り組んでいるのだなぁ、、とあらためて感銘を受けた。
ただ、他にも同じようなことを書いているレビュアーがいるように、
著者の姿勢には若干の違和感を感じるところがないではなかった。
たとえばエピローグの中で、今まで出版された数多くの「オシム本」について、
ユーゴ内戦時代の彼の人間的偉大さについて語るものはあっても、
オシムのサッカー観そのものについて詳細に語ったものはさほど多くなく、
「オシム語録」にしても断片的なものにしか過ぎない、といったような、
既刊書をやや不当に貶めつつ自著を持ち上げるような言い方がされていることが気になった。
率直に言って、本書で語られるオシムのサッカー観が興味深いのは確かだとしても、
類書に比べて格段に詳細でレベルが高いとまでは思わなかったので、オシムではないが
もう少し同業者の仕事を「リスペクト」する必要があるのではないかと感じた。
また、順序は逆になるが、プロローグのなかで、
「真剣に生きるとはどういうことか」との問いをオシムが投げかけているとした後で、
「経済的に成功し、物質的に満たされた生活(つまり贅沢な生活)を送るために、
ハウツーものやビジネス書を読みあさることが、真剣に生きることなのか」
と唐突に述べられているのだが、この発言はやや勇み足が過ぎるように思える。
おそらく勝間本の読者(カツマー)あたりをイメージしているのだろうが、
「ビジネス書を読みあさる」人々の中には、何も贅沢な生活を送ることだけを
目的としているわけではなく、それぞれが置かれたポジションの中で
どうすれば状況を改善できるのかを真剣に考えている人も少なくないはずで、
それを「ハウツーもの」や「贅沢な生活」とひとくくりにして
全否定するかのような書き方には、やはり疑問を感じざるを得ない。