人間は、
自身の存在を揺るがす制御することの出来ない
自分の内部の熱い過剰なエネルギーの撹乱を恐れ、
それらを拒否・禁止し、
世界を意識・理性・秩序・労働等によって枠付け、
事物を区別する非連続な存在です。
しかし人間は、
そのような非連続な存在となっても
非連続性が壊され本源的な連続性の中に溶け込む渇望・誘惑を
捨て去ることが出来ません。
その誘惑から禁止を侵犯し、
溢れ出る生の力にさらされる連続性へ至る体験を
バタイユはエロティシィズムと呼びます。
エロティシズムは
人間が本来的に持っておりながら、
その過剰さ故に普段は禁止されている主に死・性・暴力
の侵犯において発現し、
禁止が強力な程、その官能の度合いは大きくなります。
ただしその侵犯は最初の自然に戻ることではなく
自分自身をさらにを乗り越えていくものです。
例えば本書p.138において
「すなわちこの世界は動物性・自然の否定のなかでまず形成され、
次いで、そうした自分自身を否定してゆく人間世界なのだ。
ただし、
この第二の否定においてこの人間世界は、
自分自身をさらに乗り越えてゆくのであって、
けっして自分が最初に否定した自然へ舞い戻ったりはしないのである」
とあるように。
『エロティシズム』では
このようなテーマが打ち寄せる波のように
様々な形をとって繰り返されますが、
ひとつとして同じものはありません。