エピジェネティクスについては、
破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させたの後半部に優れた紹介があり、それを読んで興味を持った。「DNAが人間の(成長後の)複雑な構造を予めほぼ完全に保持し、それ(そのプログラム)に従い受精卵は成長して人になる」という考え方を“前成説”という。が、これでは了解出来ないような、後天的な作用で遺伝子発現の仕方が変わるといった機構の研究がこの十年くらいで急速に進み、(DNAも含まれる)細胞環境での相互作用が重要との認識が高まった。DNAが全てを司るのではなく、細胞環境での複雑な作用(ここではDNAは指示も受ける)こそが、受精卵を人に成長させるという見方で、“後成説(エピジェネシス)”といわれる。こうした研究領域が“エピジェネティクス”だ。
本書の著者は後成説に立ち(そう明言している)、その記述は上述のライアンの著と内容的にかなり重複するのだが、主題としているだけ詳しさは(やや)勝る。遺伝子によらない、肥満とかストレスへの過敏さが遺伝すること。クローン猫の毛並みが全く似なくても不思議ではないこと。ラバとケッティ(ラバとは両親の雌雄が逆)で、体型や見た目が違う理由。ガン細胞が増殖したり消滅するメカニズム等々、興味を惹かれ、考えを誘われる話題は多い。みな、後成説を補強する事象だ。
著者は、DNA主導(前成説)を示す『エグゼクティブDNA』という考え方に対し、『エグゼクティブ細胞』という言葉を提起する。細胞環境での複雑な相互作用こそが決定的に重要であるという、複雑系科学の考え方だ。だが、問題はある。この細胞環境は、なぜエグゼクティブであり得るのか、という謎だ(ここに、“神”が想定されてしまう可能性もあるのだという)。本書はそこへの解釈を何も示してくれないのだが、著者が言いたいのは、この領域が未だ発展途上ということなのであろう。
長くなってしまったが、あと一つだけ触れたい。本書で特に興味深かったのは、幼児虐待の連鎖とか、胎児期や幼児期の母親の心的状態の重要性を、後成説で、謂わば生物学的に(細胞環境に生じた相互作用として)説こうとしている点だ。それが、(驚くことに)かなり説得的なのだ。
前成説ならば、DNAで説こうとはしないだろう。ということは、前成説とは(自らは守備範囲を限定することで)、胎児・幼児の心的構造が別に措定され、心理学的・精神分析学的に心の構造の変容が捉えられることを、半ば必然的に要請する説であったのだ。やや視点を変えると、これは人間を他の生物から隔てる“特権化”(人間だけが特別な“心”を持つ)を結果として招いた。
本書により、そこにふと気付いた。後成説は“心”の問題を縮減し、人間を特権化せず、他の生物と同じ地平で連続的に捉える。そう考えると、今後の進展がとても興味深い。