本書の著者はヘルメス主義を中心とした西洋エゾテリスムの歴史家ではあっても、形而上学的認識に到達したメタフィジシャンではありません。(本書におけるゲノンを始めとする「伝統主義学派」に対する無理解に満ちた扱い、とりわけゲノン的意味の「エゾテリスム」に対する無理解の表明(本書p11)において、それは明白に見て取ることが出来ます。)その結果本書は、心霊主義者や神智学協会、シュタイナー、グルジェフのような伝統的真理の歪曲者たち・擬似秘教の捏造者たちが、西洋において極めて高度な観点に達した偉大なる師たちと同列に並べられて論じられるという、きわめて混乱に満ちた、「霊の識別」を欠いた本となってしまっています。この点で本書はQuinnやHolmanのような「エゾテローグ」の本と同様の危険性をはらんでおり、「識別」のできない人に「エゾテリスム入門書」としておすすめできるようなものではありません。
ゲノンに関する本書の批判的評価について少しだけ付言しておきます。フェーブルは、ゲノンがヘルメス主義・錬金術的伝統をほとんど無視・放棄したとか、彼の思想においては自然哲学のための場所はまったくない(p131)などと書いています。ゲノンが「量の支配」「大いなる三幅対」等の著作においてどれだけヘルメス主義を活用しているか、また「現代世界の危機」において、形而上学的認識に到達するための従属的な「聖なる学」としての錬金術をどれだけ評価しているか、これらのことは実際にゲノンの著作を読んで理解している人間にはきわめて明白なことであり、このような的外れな批判が一体どこから出てくるのか、理解に苦しむと言わざるを得ません。