魔美の父親は美術の教師である。油絵を描いており、ときどきは個展も開く。美術雑誌に批評が載るほどだから、なかなか見所のある画家なのだろうが、とりあえず作中では「売れない画家」として扱われている。
さて、この父親が、魔美をモデルに連作を描いている。魔美のほうもまんざらではない。モデル料がもらえるし、パパの絵が気に入っているのだ。連作のうち何点かは魔美の部屋に飾られている。訪れた高畑くんは、どぎまぎしてしまう。連作「少女」は、裸婦像……つまり、そのう、ヌードなのだ。
作中には、魔美がモデルをつとめる場面が数多く出てくる。えー、つまり、そーゆーわけで、うれしはずかし、みどころであります。
藤子・F・不二雄はインタビューに答えて「ヌードの日常化」を狙ったと発言している。彼の作風は、ふしぎな異物が日常にまぎれ込み、それによって生じる齟齬やドタバタを冷静に見つめるところに真価がある。「SFの日常化」と彼自身が呼ぶスタイルを、おそらくは照れ隠しに、援用してみた発言であろうか。
この作品が連載されていた時期、作者の娘さんたちは、そろそろお年頃だったはず。作者にとって、間近に見る娘さんたちの生態は、ふしぎな、けれども魅惑的な、異物であったに違いない。