この声は聞く人を選ぶ。この情熱的な愛の歌を認めるか、否か。まさに武士の切腹のごとくにまっぷたつに。
故に妄想。全てから遠くはなれて、今は愛しき人とすごしたい・・・ああそんなダメ中年のはかなくも、非現実的な妄想にかられる年齢になってしまった自分に、合う。涙すら流れる。
本当に信じるということは定義すら難しいもので、たとえ愛する人であってもいや逆に愛深き故、疑念にかられるというのは、かの古典的名作からのジュリエットを持ち出すまでもなく、幾度となく繰り返された悲劇の一つだ。だが、その故に恋は、愛は燃え上がる。不在こそが存在を炙り出す。
安全な恋ばかりを選ぶ婦女子には到底まねできない、ルーファスの、この強烈な個性そのものの声は、イタリアにかつて降り注いだ、ワインとチーズをたっぷりと吸い込んだオペラというものを、夢想させ、疑似体験することに似ている。そして、それはクラシック、つまり既成の職人芸ではない。この2部作は、今を生きる者たちを祝福せんが為、愛、欲望、その他諸々の損得勘定の不純物を取り除いた、現在はクラシックと呼ばれている音楽の最新版に近い。
ああ、はっきり言わせてもらう。
人が人を好きになるのに理由はいらない。この全き愛を聞きやがれ。
何とも痛快な破壊王子ぶり。