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ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
 
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ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) [単行本]

入不二 基義
5つ星のうち 4.8  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

「すべて」と「無」は一致する。私は強力で特異だからこそ、無と化していく。独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界に分け入る。

内容(「MARC」データベースより)

「すべて」と「無」は一致する。私は強力で特異だからこそ、無と化していく…。独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界。ウィトゲンシュタインの「私」をめぐる独創的思考に迫る一冊。

登録情報

  • 単行本: 126ページ
  • 出版社: 日本放送出版協会 (2006/05)
  • ISBN-10: 4140093323
  • ISBN-13: 978-4140093320
  • 発売日: 2006/05
  • 商品の寸法: 18.2 x 12.8 x 1.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.8  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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25 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By お気に召すまま トップ1000レビュアー
形式:単行本
「独我論」という視点から、ウィトゲンシュタインを読み解いた力作。前期の『論考』から、中期の『青色本』を経て、後期の『探究』まで、ウィトゲンシュタインが、「私」という特異な主題と格闘した経過がよく分かる。著者によれば、「本当の意味で存在するのは私だけだ」という「いわゆる独我論」を批判して、「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」という、『論考』における「ウィトゲンシュタインの独我論」が成立した。そのポイントは、通常は「存在と無の間に境界線は引けない」のに対して、「言語においてのみ限界が引ける」という点にある。なぜなら、言語に着目すれば、「無意味と有意味の間に境界線が引ける」からだ(p61f)。これは鋭い考察だ。

中期についても、シュリックやストローソンの「無主体論」という凡庸な解釈を、著者は退ける。「無主体論」と「直接経験による検証主義」の葛藤こそがウィトゲンシュタインの思索を導き、その葛藤が、「類比を通じた移行」という発想に至り、それが後期の「家族的類似性」という「言語ゲーム」概念に繋がった。そして著者は、本書第三章で、「私的言語」をめぐる「感覚日記」の議論を読み解く(p102〜116)。ここは最高にスリリングな箇所だ。「人々がそれぞれ異なった規則に従う」ことを我々が理解するのは、「規則に従う」とは何かの理解が同一だからこそそう言える(102)。そして感覚が私的であるのは「文法によって」そうなのだから、そこではもうすでに文法に依存しており、したがって記号「E」は私的言語であることはできない(110)。どこまで追い求めても、「私」は、「われわれの言語」に回収されるか、無意味になるかいずれかであり、「私的言語」という落とし所はないというのが結論。
このレビューは参考になりましたか?
20 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By どべ
形式:単行本
 我々が夢を見ているとき、通常はその夢は私の無意識がでっち上げたのだと考えられる。しかしでっち上げられているのは夢ではなく「夢を見ている私」のほうなのではないか。なぜなら夢を見ている間、「私」はどこにも存在していないから。「私」は夢から目覚めた瞬間からしか存在しない。つまり、目覚めた後の「私」が、今まで見ていた夢に「夢見ていた私」を貼り付ける、すなわち夢の外側に「私」を設定するのです。
 同じように、夢の対概念である「現実」の場合も、「世界より小さな私」を設定し、それを世界の内部に位置づけることで世界を「現実」化しているのかもしれない。
 つまり、「私」を世界の外側に設定することでその世界を「夢」たらしめ、「私」を世界の内側に設定することでその世界を「現実」たらしめているのではないか。夢と現実の区別なんてそんなものかもしれない。夢も現実も同じ「世界」であり、違っているのは「私」の位置づけだけだ。・・・・・・・ 

 ヴィトゲンシュタインは、上記のような、夢でも現実でもない「世界そのもの」を言語化しようとします。それは同時に、現実と夢とに分化してしまう原因である「私」を消去することになります。
 そしてそのために「世界と寸分違わず一致する私」を言語化しようとします。なぜならこの一致こそが「私」と「世界」の一体化、つまり「私」の消去へとつながるからです。「私」が、世界よりもわずかでもはみ出れば夢の話に、わずかでも小さければ現実の話になってしまう。そのぎりぎりのところを言語化しようとするのです。
これはまるで、無我の境地つまり「悟り」を言語化しようとしているようだと思いました。
このレビューは参考になりましたか?
17 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By USC VINE™ メンバー
形式:単行本
ヴィトゲンシュタインに関する入門書は数多くあるが、これだけ絞り込んだ入門書も珍しい。「論理哲学論考」「青色本」「哲学探究」の3冊に絞り込んで説明されています。これは新たな試みとして非常に面白いと思います。この本を読み終えて新たな入門書なりを読み込んで見るのも面白いと思います。
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