「(本書には)ウィキペディアと人間社会の類似性について深く考えさせられる哲学書の一面もあります」
「訳者あとがき」に、ひっそりとめだつことなく書かれている一文。どきっとさせられました。この訳者、ちゃんとわかって訳してる、と思いました(えらそうですが……)。そうなんです、そうなんです! と叫びそうになりました。
はっきり言って、ぼくはコンピュータのことはあまり詳しくないし、ウィキペディアは毎日のように見ているけれど、はじめのほうの「システムが確立されていくまで」のお話は苦痛でした。専門用語の羅列で、何がなんだかわけがわからない。正直、かなり飛ばし飛ばしに読んでしまいました。
しかし読み終えたときには、泣きそうになってました。んー、この社会、これからどうなっていくんだろう、と。つまり、ウィキペディアのことなんてどうでもよくて、ようするにこの物語は、ぼくたちの生きている社会そのものを描いている作品なのではないのか、とひやりとさせられたんです。ウィキペディアのキーワードは「自由」――だれもが記事を制作し、だれもが加筆・修正を加えられる。それを信念にはじまったプロジェクトのはずが、いつのまにかさまざまなルールが生まれ、リーダーの存在が必要だと考えらるようになり、そのリーダーに権限が与えられるようになる。はじめは無視していただけの「荒し」に対しても、罰則が生まれる。禁止されているはずの「投票(多数決)」までもが現実のものとなってしまう。そしていま、ウィキペディアのシステムはどんどんと複雑化し、記事を制作するにはある程度の「技術」が必要になっている。
これは、いまぼくたちが生きている現代社会の小宇宙そのものなんじゃないか、と思うんです。はじめはだれもが自由を希求している。しかし人が増え、さまざまなコミュニティができあがり、リーダーが生まれ、法律がつくりだされ、その法律はどんどんと複雑化し、いまでは一般人のぼくらには何が書いてあるのかわからない。その歴史とまったく同じ。そしてその「複雑な法律」は、官僚が自分たちに有利になるように複雑にしているだけのものではない。社会のシステム自体が複雑化したために、むずかしい「ことば」が必然的に必要になる。ウィキペディアの「システム」が複雑化したように。
けっきょくのところ、「権力」みたいなものに世界は支配され、その支配はつづくものなのかもしれない。その流れに抗うためには、ぼくたち個人に何ができるのだろう、とまで考えさせられる作品でした。
ことし読んだ本ではナンバー1。とにかくおすすめの一冊。