ある特定の時代を象徴する映画としての評価はもちろんこれからも永遠不滅に最高のもの、本作が変換点となり以後の映画の方向性を変化させた映画史上の重要性(方向性の多様化をもたらした功績)もやはり永遠不滅に最高と考える、
これから初めて見る若い映画ファンが注意しなければいけないのは本作はけっして娯楽映画ではないこと、撮影はプロフェッショナルな素晴らしいもの(バイクの疾走シーンだけならアメリカの観光PR映画のようなきれいさ)だが編集や画面つくりなど素人っぽさが濃いアマチュア手作り映画の趣が濃く、「2001」や「ゴッドファーザー」のようなやはり映画史上の重要作が「大予算娯楽映画」のフォーマットから決してはみ出していないこととは好対照な作品、
つまり1970年前後の時代背景に詳しければ詳しいほど楽しめる映画です、したがって過剰な期待をもって見始めることだけは避けたほうが懸命です、
再見して改めて関心したのが行き当たりばったりの撮影を繰り返して完成した映画のような印象でありながら、実は脚本自体はかなりわかりやすく練り上げられている点、
馬の蹄鉄修理とバイクのパンク修理を同じカットにしたり(アメリカ人にとって馬とバイクは同類なのです)、実直質素に暮らすコロラドの農家の次に鼻持ちならない選民(エリート)意識と排他性に凝り固まったヒッピー・コミューンのシーンを繋げたりなどなど、わかりやすい対比を繰り返すことで主人公二人が探した「アメリカ」の実像を描写するなど見事だとおもいます、
「タクシー・ドライバー」も「ディア・ハンター」も、そして「愛と青春の旅立ち」も「アメリカン・ビューティー」も、おそらく「ジーパーズ・クリーパーズ」も「アメリカン・サイコ」でさえも本作の提示したアメリカのある断面を引用することで成立していると考えればまさに原点である映画でしょう、
再見してもっとも興味深い印象を受けたのが脇の登場人物たちが極めて異常な人格ばかりで、主人公二人がただのチンピラではあるが実にまともな人間に見えてしまうこと、脇役で例外的にまともな印象を残すのがコロラドの農家であることを考慮すれば、もし二人が無事にロサンゼルスに帰還できれば、足を洗った二人が向かうべき場所は田舎の実直な暮らしであることも暗示されているのだと考えます、
本作時点でヒッピー・コミューンの胡散臭さを正面から描いたのは実に慧眼だったともおもう、コミューンは数年後の「タクシー・ドライバー」でクラリスが行きたいと語りトラビスがあんな不潔なところ、と非難する場所なのだが、彼らコミューンの独善性は同時期の共産党主導の社会主義国家郡を髣髴とさせるし、田舎もの達の悪意に満ちた排他性と同根でもあり、両者ともに容易に暴力に転化する現実を暗示したと思えば、911以降の現在にとってもまったく古びていない問題意識をこめた未だにまったく新鮮な映画とも評価できるでしょう、