30年前、ただカッコ良いという理由だけで、ただアメリカン・ニューシネマともてはやされていたからという理由だけで、この映画を観たことを誇りのようにしていた自分がいた。
それなりの人生と、それなりの経験を重ねて、齢50に至った今、再びこの映画に出会い、ようやく訴えかけてくる何ものかを感じることができたように思う。チョッパーと呼ばれるバイクをアピールするのでもなく、マリワナや覚醒剤を賛美や非難するでもなく、キリスト教と新興宗教を比較して何かを訴えようということでもない。当時のアメリカに瘡蓋のように残る南北問題や人種差別を抽出して、ことさらに突き上げるのでもない。ただ、次の世代を担う人間がどうあり何をするべきなのか、アメリカという国がどこへ向かおうとしているのかを、素朴な疑問として投げかける一手段として、この映画が出来上がったに違いない。
キーワードは「自由」。
「自由を語ることと、自由になることは違う」。ピーター・フォンダの台詞がこの映画のすべてではないのか。
蛇足ながら、この映画を監督して同時にビリーを演じるデニス・ホッパーは、「スピード」の狂った元警察官を演じた人という方が若い人には通りがいいかもしれない。そして、アル中の弁護士は若きジャック・ニコルスンですよ。