外国人向けに性風俗のガイドを生業とするケンジと、そこに依頼をしてきた奇妙なアメリカ人フランク。そして夜の歌舞伎町を舞台に、ケンジの目の前でフランクが凄惨な殺戮を繰り広げていくストーリー。吐き気をもよおしそうな位、残酷な描写があり、読んでいて気分が悪くなる人もいるかもしれないが、物語の完成度はその負の要素を補っても足りない位よく出来ている。
よくあるサイコスリラー小説でもあるように、フランクはある種の精神異常をきたした人間だ。だが、それと確実に違う部分は、そこに登場する人間、そして日本にごく普通に存在している日常の一部でさえ、フランクというフィルターを通してみる事で、ある種の異常さというものが存在する事だと思う。その事を常日頃から、僕等が異常な事だと認識していないのは、ただ単に異常だという事を知らないだけで、それを他の視点から見ると、こんなに変な事なのだと、村上龍自身が物語を通じてアナウンスしているようにも思える。そういう意味で、自分自身色々と考えさせられる小説でもある。
とても印象的な部分は、ケンジが一度フランクから解放され、交番まで向かうシーンであるが、惨劇の興奮から醒め、冷静に起きた物事に関して、そして自分の取るべき行動を考える部分がある。自分なりの解釈で起きた物事を納得させてしまう事は簡単だが、ケンジは胸に引っ掛かりを覚えたものを、何度も苦しみながら反芻し、繰り返し考えていく。結局その事がケンジのその後の運命を左右させたのだが、村上龍のよく言う「危機感」や「想像力」というものは、全てこの行為のような事を指して言っているのだろうと思う。あらゆる面から情報をかき集めて、未来に起こりうると予測される事を精一杯イメージする事。それをせずに、イメージする事を放棄し、簡単に物事を勝手に決め付けてしまう事に、本当の危うさというものが存在しているのだと。それを言いたかったのではないか?と思う。
僕は、決してこの本はただの日本批判だとは思わない。それは、タイトルやラストの象徴的なシーンでも解るとおり、日本の良さである、他の国にはない優しさというものも描かれている。ただ、それだけで生き抜けるほど現実と言うものは甘いものではなく、フランクと言う全く未知の異物を登場させる事によって、少しでも違った目線で物事をイメージ出来る力になればと、そういう意図を持った小説なのではないだろうか?と思う。