いまインドネシアの各地で起きている土地紛争を概観するには役に立つが、それぞれの問題の根源については却ってわからなくなる本。それは、イデオロギーのフィルターを通じて見ているから。最初の数ページを読んだだけで、著者がマルクス主義史観−階級闘争史観に立ち、その立場を公に宣言していることがわかる。
著者が肩入れする勢力は「人びと」「村びと」、彼らの活動・運動は「闘い」と表現される。ある意味で非常に判り易い構図である。しかし、土地問題というのは、それが発生してから時間が経てば経つほど、そういった簡単な構図では理解できなくなるものだ。一方の当事者だけが絶対的に正しく、それ以外がすべて間違っているわけではない。善悪正邪で判断しようとすると、泥沼にはまる。
この「先せい」には、「階きゅう闘そう史かん」に凝り固まった物の見方、あるいは既述法(表現)をオブラートに包む技術が必要だ、と思う。とにかく、「赤はた」を読んでいるような気分にさせる語法には辟易した。まともな日本語を使ってほしい。