地中海のナポリ沖にひっそりと浮かぶ小さな島、まずしい漁師の暮らしぶりに背をそむけるものの、さりとて新しい何かを始めるわけでもない一人の青年、マリオ。そんなくすぶる彼の眼にある日、「郵便配達人募集」という文字がうつる。なんとはなしに応募してみた彼の配達担当地区には、たった一人の住人しかいない。政治的迫害を逃れてこの島に亡命してきたチリの国民的詩人、パブロ・ネルーダとの出会いはこうして始まる。
"Il Postino"、"The Postman"、「郵便屋さん」。だれかの何かをべつのだれかに届ける、そんな彼らには通常、個性(character)はないし、あってはならない。彼らはどこまでも没個性的な、いわば透明な存在だ。
詩人と毎日顔をあわせ言葉を交わしあううちに、しかし、地中海のイル・ポスティーノことマリオは受け身の殻をすこしずつ脱ぎすてていく。詩人になるにはどうすればいい?とたずねる彼に、パブロは、海辺を散歩し、まわりの景色をよく眺めてごらん、と答える。はじめはパブロの隠喩(metaphor)が何のことだかよくわからなかったマリオだが――。
物語の最後、だれかの何かを、ではなく自分の「何か」をパブロに贈るマリオは、透明な存在であることを超え出たつかのまの主人公(the leading character)として静かにかがやく。
イタリアの美しい海岸でなくとも、この日本の日常にだってふと胸を打たれる瞬間はある。偉大な詩人でなくとも、美を感じることはできる。眼や耳の全体性のもとで言葉はときに不要だ。海を見わたす眼、波に聴き入る耳、そしてすべてを感じとる心。それがあれば十分だ。
その心が、もうひとつの美しい心と触れあうとき、愛(amour)は生まれる。だから心は美しい。