グループ名の“IL DIVO(イル・ディーヴォ)”とは、神のようなパフォーマー、もしくは男性版ディーヴァを意味するイタリア語。
2004年11月1日にイギリスでセルフ・タイトルのデビュー盤「IL DIVO」(日本盤タイトル:イル・ディーヴォ)をリリース。同年11月9日付の全英チャートで前週1位のロビー・ウィリアムスのベスト盤を抜いて初登場 1位に輝き、発売から4ヶ月経ってもTOP 30内にチャートインし続ける、とデビューにしていきなり爆発的なヒットを記録した。英国内での大成功を背景に、2005年3月にヨーロッパ/アジア、同年4月に北米、そして8月に日本でデビュー。25ヵ国以上でトップ5入りを記録。全米総合チャート初登場4位。 翌2005年11月7日にリリースされた 2ndアルバム「ANCORA」(日本タイトル:アンコール)でも、その勢いはとどまるところを知らず、2006年1月末には北米でリリースされ、見事全米総合チャートのNo.1を獲得した。そして2006年11月、3rdアルバム「SIEMPRE」(日本タイトル:オールウェイズ-SIEMPRE-)をリリース。これまでのアルバム・トータル・セールスが、2,200万枚以上を記録している唯一無二の「モンスター」ヴォーカル・ユニット、これがIL DIVOである。
メンバーは、アメリカ、フランス、スイス、スペイン出身という国際色豊かな4人。
IL DIVOのエグゼクティヴ・プロデューサーのサイモン・コーウェルが、P.ドミンゴ、J.カレーラス、L.パヴァロッティの3大テノールの歌声にヒントを得、世界17カ国以上のブレーンに優秀な歌い手を求め、オーディションしつづけ、作り上げたグループ。それがIL DIVOだ。
クラシックの学習をした3人(テノール2人+バリトン1人)と、独学で音楽を習得してフランスのポップス界で活躍していたマルチ・ミュージシャンという4人個々の声の個性を考えつくし、かつ“かぎりなく美しく、甘く、そして切なく、ときにドラマティックに”アレンジされたポップス。そして4人が身にまとっているのは、贅沢にカジュアル・ダウンさせた“ジョルジオ・アルマーニ”。
他の追随を許さぬ「ILDIVO」という存在すべてに、全世界が恋におちた。
2006年には、デビュー1年にして、ワールド・ツアーを実施。1月31日の米国コネチカット州/ウォリングフォード公演を皮切りにスタートした北米(シアター)ツアーに続いて、3月の全豪ツアー、4月~5月のヨーロッパ・ツアー、6月の北米ツアー2nd leg(アリーナ・ツアー)、7月の全英サマー・ツアー、と70回以上ものコンサートのほぼすべてがSOLD OUTを記録。
そして、ワールド・ツアー最中の6月~7月に開催された 2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会の公式テーマ曲「タイム・オブ・アワ・ライヴズ」の歌唱(Duet with トニ・ブラクストン)という栄誉まで手中に収め、同大会の開会式および閉会式にてパフォーマンスをおこなった。
2006年10月~11月、6年ぶりにおこなわれたバーブラ・ストライサンドの全米アリーナ・ツアーに、スペシャル・ゲストとして出演。
2006年11月上旬には、上記ワールド・ツアーの模様を記録したDVD「Live at the Greek Theatre」(日本盤タイトル:ライヴ・アット・ザ・グリーク)を、リリース。国内盤発売は、初の来日ツアー直前となる2007年1月で、このDVD は2007年度ゴールド・ディスク大賞「海外ミュージック・ビデオ部門」を受賞した。
2007年1月から、ふたたびワールド・ツアーをおこない、待望の初来日公演も実現。全6回公演のすべてがソールド・アウトという記録を樹立した。
このワールド・ツアーは同年7月まで世界各地で続き、その後、4thアルバムへの充電期間を取る。2008年8月までは、単発的なイベントのみの活動となり、アルバム制作に専念。[この間、2007年11月に、ジョルジオ・アルマーニ・ジャパンのイベント“One Night Only at the Budokan”でのライヴ・パフォーマンスのために急遽来日。そのほか、2008年5月にセリーヌ・ディオンのコンサートにゲスト出演などの活動のみ]
そして、2008年11月、2年ぶり待望の4thアルバム「THE PROMISE」(日本タイトル:プロミス)を全世界リリース!
続く2009年2月のイギリスを皮切りに「An Evening With Il Divo」と題した大規模なワールド・ツアーを敢行。2009年9月には待望の再来日公演が実現。大阪城ホール、レインボーホール(名古屋)、日本武道館(東京)の3会場全6公演を精力的にまわり、その全てが成功裏に終了した。その3ヶ月後の12月にはスペインのバルセロナで行われたコンサートの映像を中心としたCD+DVD「AN EVENING WITH IL DIVO – LIVE IN BARCELONA」(日本タイトル:ライヴ・イン・バルセロナ2009)をリリースした後、再び5thアルバムのための充電期間に入る。
そして・・・2011年。
日本の人気ドラマ『外交官・黒田康作』主題歌に起用された「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」で再始動するイル・ディーヴォたち。ますます進化し続ける4人から目が離せない!
デイヴィッド・ミラー(テノール)・・・David Miller
1973年4月14日生まれ。アメリカ出身。
イル・ディーヴォの中で、もっともクラシックのトレーニングをしてきている逸材。オハイオ州オバーリン音楽大学を卒業し、声楽の学士号とオペラの修士号を取得。その後は、オペラ小屋付きの声楽家として、ピッツバーグ歌劇場に2年間在籍したほか、アメリカをはじめ、オーストラリア、ヨーロッパのオペラ・カンパニーにて、主役を演じている。代表的な主演作としては、ミラノ・スカラ座の「ウェストサイド・ストーリー」のトニー役、そして2003/2004のシーズンにブロードウェイにて上演されたプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」のバズ・ラーマン演出版のロドルフォ役がある。また、イル・ディーヴォへの参加の打診があったときには、メトロポリタン歌劇場のデビューを果たす直前だった。今、オペラは彼にとっての“薬”のような存在。『オペラは消えてなくならないけどね・・・。オペラはどこにも行かないけれど、僕にとっては“薬”のような存在なんだ』。この言葉通り、今も尚出来る限りオペラに関われるようにスケジュールを組んでいる。
透明感と伸びのある高音がなによりの魅力。フレンドリーで、日本が大好き。そして現在、日本語を習得中。趣味はミニ・ムービー制作。
セバスチャン・イザンバール(vox populi)・・・Sebastien Izambard
1973年3月7日生まれ。フランス出身。
グループの中で唯一独学で歌を習得。ポップ・ロックの出身で、2000年にはソロ・アルバム『Libre』からの1曲「Si tu Savais」がフランスのチャート1位にも輝いている実績を持つ。エレキ・ギターをひく、ちょっとワイルドなヴォーカリストだった。2001年には、フランス本国での伝説的アーティスト/ジョニー・アリディのツアーにスペシャル・ゲストとしても参加。翌年には「星の王子様」(リシャール・コッシャンテ演出)の主役の1人として出演、プロデューサーとしても活躍、とマルチな才能で活躍していた。そんな彼だから、イル・ディーヴォにもロックの自由奔放な精神をもたらせており、それがグループを唯一無二なものにしている作用にもなっている。ロックン・ロールだけでなく、哲学的、内省的な側面ももつ。どこまでもフランスの香りあふれる所作の合い間にみせるいたずらっこな笑顔が魅力。イル・ディーヴォの休止期間に結婚をし、今や男女双子の新米パパでもある。
ウルス・ブーラー(テノール)・・・Urs Buhler
1971年7月19日生まれ。スイス出身。
長い髪、彫りの深い顔立ち、アスリートな肉体、そんな中に静謐さをも持ち合わせているウルス・ブーラー。十代のころ、彼の故郷ルツェルンを基盤に活動していたハード・ロック・バンドThe Conspiracyのヴォーカリストをつとめ、1991年にはアルバム『One To One』を発表。しかし音楽教師になるための勉強をするうちに、彼の方向はクラシックの道へと傾倒をはじめる。5歳のころからヴァイオリン、それを10年続けた後にクラリネット、さらにピアノを7年間学んだと言うウルスだが、ここ最近はエレキ・ギターに傾倒している。常に真面目に物事に集中する性格である彼は、アカデミー・オブ・スクール・アンド・チャーチ(スイス)で音楽教育と声楽研究の学位を取得したのち、アムステルダム音楽院で声楽学位、さらにメス(フランス)の国立音楽院で歌曲とオペラの修士号を取得している。モーター・バイクのファンで、ハーレー、ゴールドウィングなどのそれぞれ修理段階にあるバイクを現在10台所有している。
カルロス・マリン(バリトン)・・・Carlos Marin
1968年10月13日生まれ。スペイン出身。
映画「歌劇王カルーソー」のマリオ・ランツァに魅了され、歌の修練に励んできた彼は、8歳のときから、レコーディングやライヴの経験を積んでいる。「グリース」、「レ・ミゼラブル」、「美女と野獣」、「ラ・マンチャの男」などでのミュージカル主演や、TV番組でポップ・ソングをうたい、そしてオペラの「椿姫」や「ラ・ボエーム」にもバリトンの主要な役どころで出演、とまさしくマルチな天才歌手としての活動をおこなっていた。そんな彼は当初イル・ディーヴォに参加することを拒んでいた。ただ、その頃から付き合っていた女性に説得され、イル・ディーヴォに参加。その女性(ジェラルディーン・ラロサ)と 2006年のワールド・ツアー最中にロサンゼルスのディズニーランドで挙式。また、イル・ディーヴォ休止期間(2007年)には、ジェラルディーン・ラロサのプロジェクト“イノセンス”を立ち上げ、大ヒットを飛ばすなど、夫としてだけでなく、プロデューサーとしての手腕も磨いた1年を過ごしていた。趣味は「眠ること」。彼ならではのラテン気質満載のパフォーマンスは、十分な睡眠に宿る!
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