アメリカのイラク戦争がフセイン体制を暴力的に打破する手段である点では異論は少ないようです。また、問題は、本戦争はあくまでも手段であり、始まりにしか過ぎないということをどこまで真に理解し、政策と行動に反映しているかにある点についても異論はないように思われます。
始まりとは、いうまでもなくフセイン体制によって蓋をし抑制されていた、過酷な経済的条件をベースにした部族間・宗派間あるいは周辺諸国との利害関係・民族関係が、あたかもパンドラの箱が突然開かれたように露呈化することです。
もたらされた自由とは、とりあえずは内部抗争の自由でもあるわけです。
本書では、一人の誠実で勇敢なジャーナリストが、イラクの民主化という理想をもって戦争に共感したものの、戦後生じる様々な出来事の一つ一つに問題の困難さを理解していく過程が丁寧に描かれています。論点は多岐にわたり、エピソードは多彩です。
しかし、基調は悔恨に満ちており、結論は悲劇というものです。無論、希望は残っています。ただ、本書を書き終えた時点での作者にとっての希望は、西日の残照のよう感じられていたのではないでしょうか。
私が本書でとても印象に残ったのは以下の点です。
イラクの若い研究者が、集団的アイデンテテイから脱却し、個人をベースとした民主的社会を形成するのにアメリカは何をなしえるかを研究したいと言います。他方では、このような理想をあざ笑うかのように、別の箇所でイギリスの女性が言い切ります。「こんな過酷な条件の中で民主制が成立するわけないでしょう。」
しかし、両者には接点があるように思えます。経済的基盤の形成です。このような過酷な経済的条件の改善により、個人に富を形成することです。これが部族あるいは宗派といった集団的アイデンテテイから解放される唯一の手段のように思われます。但し、そのための政策の形成には社会経済学の知識を基礎とした広範囲にわたる困難なフィールドワークが必要なのでしょう。シャウプ税制調査団を思い出さざるを得ません。
最後に、酒井先生の解説がいつものことながらきりっとして明晰です。トロイの木馬理論には目からうろこでした。