「渡邊二郎訳」ということで期待して購入しましたが、本当に悲しくなりました。イデーンの試みが、純粋現象学を論ずる第一部門と、それに基づいて現象学的哲学の理念を論ずる第二部門とに分けられ、その第一部門が、さらに、現象学への道程を求める部分と、現象学の二、三の特別に重要な問題群を扱う部分とに分けられ、この第一部門の前半部分がイデーン'Iとして、第一部門の後半部分がイデーンIIとIIIとして公刊されたことは、渡邊先生がくりかえし強調されてきたことですが、その渡邊先生が翻訳されたイデーン'Iの、膨大な訳注で分量が本文の倍以上に膨れ上がった、異様な姿からすれば、渡邊二郎訳のこのイデーンIIIも、当然に、その渡邊先生ご自身の膨大な訳注とともに、再現されるであろうと、渡邊マニアからすればこれまた当然に期待するのだと思います。その分量が余りに少ないのを不思議に思いながら実際に手にしてみると、その期待した異様な姿ではないことに愕然としました。パソコンに残されていたという第7節までの部分が、全体からすれば、4分の1以下ですから、渡邊訳注を掲載するとすればそれに見合った訳注を補訳者が用意しなければならず、そのアンバランスを嫌ったのではないかと勘ぐってしまいますが、渡邊先生が用意されていた翻訳原稿の様子が「訳者あとがき」には何も記されていません。フッサリアーナの精神自身がフッサールの遺稿からその哲学を再現することにあるにもかかわらず、その精神が渡邊先生には適用されないのかと思うと、渡邊二郎著作集のあり方とあわせて、非常に残念に思えてなりません。