あらかじめ断っておくが、この作品は当時のヨーロッパの文化、芸術や政治体制に関する所感をイタリアへの旅行に託して日記風に綴った、スタンダール個人の思想的な告白であり、決してイタリアの観光ガイド・ブックでもなければ音楽や美術批評誌でもない。確かにイタリア各地の劇場や当時の作曲家、歌手、演劇などの上演記録と多くの人々との出会いが頻繁に書き込まれている。しかし、かといってイタリアにそれほど馴染みのない人がイタリアの名所旧跡を知るために読むのであれば、はぐらかされてしまうだろう。洗練されたガイド・ブックとしてはむしろ10年後に編纂された『イタリア旅行記』及び更にその後の『ローマ散歩』の方がよりその体裁を保っていると言える。ここでは彼特有のエスプリと揶揄や皮肉がありのままに吐露され、また文章中の齟齬や矛盾、あるいは剽窃に面食らうこともあるが、しかし読み通していくうちに彼の洞察が如何に鋭いものであるか、またそうした観察眼がイタリアに対する、ある種の憧憬を伴っていることにも気付くに違いない。少年の頃ナポレオンのイタリア遠征に加わり、その後もこの地を旅し、晩年には役人として赴任してきた。それくらい彼はイタリアを愛していた。この国を舞台にした傑作のひとつ『パルムの僧院』をものしたように、この作品に彼の思考の原点を辿ることができ、後の小説家としての萌芽が見出される。
時に歯に絹を着せない批評は至るところで炸裂する。当時まだ存続していたバチカンのカストラートのコーラスを去勢鶏のしわがれ声とこき下ろしたり、凡庸に対する容赦はいらないなどと言っているが、それはとりもなおさずバチカン自体への批判でもあり、遅かれ早かれ彼が危険分子と見做されるのも、こうした忌憚のない批判がもたらした結果であろう。注釈がそのページごと下段に付けられているので、本文を読みながら同時に注を理解できるのは有難い。それにしても注解を読んでいると、如何に彼が幅広い分野から含蓄に富んだ言葉や引用を用いているかが分かる。ここでの日記の内容の真偽は問題ではなく、むしろ彼がイタリア滞在中にどのような心境の変化を遂げたかが重要なテーマになるだろう。尚巻末には人名索引が付されている。私は幸い装丁の美しい初版の訳本を手に入れることができたが、現在ではオン・デマンドの普及版が購入可能だ。