長年にわたって、とくにアジアの社会問題の現実を撮ってきた報道写真家の最新写真集。今年72歳のベテラン報道写真家が最前線で取材を行った「解放区」とは、2010年3月から5月まで2ヶ月以上にわたって続いた、バンコクの中心部に「赤シャツ隊」が作って籠城したバリケードの内側のことである。
「赤シャツ隊」の中心は、かつての学生運動のように学生や労働者ではなく、政治的な権利に目覚め、自らの声をもつようになった農民たち、それもタイ東北部イサーンの農民である。著者は、写真撮影とともに、彼らの声を直接聞き取っている。
イサーンといってもタイ通でなければピンとこないかもしれないが、かつての日本の東北地方と同様に、独自の文化をもちながらも首都バンコクを中心とする中央集権体制のもとで差別され、貧困に苦しんできた地域である。
「バンコク騒乱」は、最終的には治安部隊の突入によって「解放区」が強制排除され、農民たちはイサーンに戻ることとなった。激しい銃撃戦の模様や、騒乱末期に放火されて焼け落ちた中心街の百貨店の映像は YouTube などで見ることができるが、放火や銃撃戦は実は農民ではなく、潜入していたテロリストが行ったものだという説もある。その意味でも、農民たちがほんとうに訴えたかったことを取り上げたことに、この写真集の価値があるといえる。
なによりも圧巻は、5月13日のタクシン派のカティヤ陸軍少将の取材中に、著者の 50cm 先でインタビューに答えていた将軍が、スナイパーの狙撃によって額を打ち抜かれた現場に居合わせた際の写真だろう。防弾チョッキを着用しないポリシーをもつ著者は、その直後発生した銃撃戦のなか、かろうじて生きのびることができたことは報道されていたとおりだ。その際のインタビューの写真も収録されている。
この作品集は、「バンコク騒乱」の背景にある構造的な社会問題、すなわちタイ東北部イサーンの貧困の現実について、1973年の学生叛乱と鎮圧後にイサーンの森に逃げた学生運動家たち、またこのほかタイの華僑華人とタクシンもその一人である客家(ハッカ)の故郷など、著者が過去に撮影してきた写真もあわせて収録して、タイが抱える問題の背景まで写真で説明している。
政治家レベルの話ではなく、あくまでも民衆の視線から、写真で切り取ったタイの現実。こういう視線は日々の報道に終始しているマスコミには残念ながら欠けているものだ。
まずは直接この写真集を手にとって、著者が生命を賭けて撮影してきた写真を眺めて考えてみるべきであろう。タイが抱える社会問題を知る一つの手がかりになるはずだ。