優作の唯一の監督作「ア・ホーマンス」。小池要之助監督の演出が気に入らず,自らメガホンを取るほど入れ込んでいた優作。日本では映画に巨額の資金をつぎ込むことはできない。しかし、だからと言って諦めたくない。例えばSF映画のように本来お金がかかるものを,「金をかけないでSFの雰囲気がでるように作れないか」というのが優作の思考だった。くわえてもうひとつ。大事なキーワードが「魂をカメラでとれないか」ということだった。「ニュアンス」という言葉を大切にした優作ならではの壮大な実験がスタートしたのだ。興行成績が映画の価値を決めるなら、この映画は無価値であった。しかし、何かを模索している優作のいらだちや,熱い思いは充分伝わってきた。事実,私はこの映画が好きなのである。
彼は映画の中に思いを入れ込んだ。ポール牧が作ってきた「べらんめぇ調」のヤクザの演技にはNGをだしたそうだ。そして個室に彼を連れ込み、いきなり机をひっくり返したり、壁を殴ったりした。そして「ポールさん。本当の怖さはこういう、何をしでかすか分からない所にあるんですよ・・。」と語ったという。「セリフなんか聞き取れなくてもいい。」と片桐竜二には、およそヤクザには似合わないカン高い声をしゃべらせ、松葉杖をつかせた。徹底したリアリズムと、パターンへの反抗。また、優作扮する風さんが警察に取り調べを受けているシーンでは、一切の「音」がない。窓の外から取調室を撮っているのだが、風にさざめく枝と舞い散る木の葉が写り込んでくるが,その音すら入っていない。このように実験的要素が随所に盛り込まれているのだ。(その分ストーリーが犠牲になっているのを感じるけどね)
僕は基本的に優作には"監督はやって欲しくない"と考えていた。海外では有名になった俳優が監督業にもじゃんじゃん進出しているが、悲しいかな単なる金儲け主義か、名誉(賞など)が欲しいのか、自分の趣味の押しつけに見えてしまうからである。もちろんメル・ギブソン(「ブレイブハート」でアカデミー作品賞を受賞)やクリントイーストウッドのようにそれで才能を発揮する人もいる。でも,優作には一俳優でいて欲しかった。勝手な想像だが、彼自身もそれを望んでいたのではないだろうか? しかし,当時の日本映画界の状況を見るに見かねて,「ひとつの方向」を示そうと,傷だらけになるのを承知で乗り出したのではないか?
真相はよくわかりません。でも結果として,彼の経験は俳優・松田優作に活かされることになったと思う。実際にはこの映画は酷評され、優作は「伊丹の真似をするなんて!」とまで言われたそうだ。だけど・・・・・・・・・・。「金がかけられなくたって、こういう方法だってあるじゃないか!どうして努力しないで諦めるんだ!何もしないで安全なところにいるよりは,もがいて失敗して笑われる方がいいだろう!」・・・・・・・優作がそう言っているような気がする作品です。