1950年生まれの西洋中世史研究者が2009年に刊行した本(史料抄訳・独語要約付き)。本書は第一に、紛争史、中近世農村社会史、中近世移行期における国家・社会関係史という、3つの問題関心に基づく研究である。第二に、当時個人の名誉は共同体内の人間関係によって増減する象徴資本であり、名誉回復のためには公的な裁判のみならず、裁判外の社会的コントロール手段が数多く利用された。国家の司法・警察制度が未整備であり、農民の武装を容認せざるを得なかった当時、名誉回復はしばしば支援ネットワークに基づく対抗暴力(フェーデ)の形をとって現れ、社会は強い紛争ポテンシャルを帯びていた。本書はこれを、農民が領邦議会身分に属したティロルの事例により、具体的に叙述する。第三に、本書はラント裁判区を、領邦統治の基盤にして、農民の渓谷共同体・放牧地(入会)共同体と重なる単位と見なす。そこでは中近世移行期に、放牧権をめぐるゲマインデ間の争いが頻発し、その仲裁には渓谷内外の住民が証人として関わり、状況に応じて当局の権威が利用された。放牧地を共有する必要から、あるときには敵対したゲマインデが、あるときには協調して他のゲマインデの紛争解決に尽力する場面も珍しくない。こうした経験の蓄積によって、日本中世とは対照的に、ティロルではゲマインデ間のフェーデは自己抑制され、領邦レベルでの公共意識が徐々に形成されていった。第四に、近世の当局には、地域の自律的な秩序維持メカニズムとの相互交渉によってのみ、緩やかな社会統制が可能となった。16世紀に諸身分や諸地域の苦情や要求を受けて、いわば政府と社会の相互交渉の所産として生まれたティロルの領邦令も、そうした事情から当事者主義を容認している。近世には法治主義は確立せず、頻発する紛争をその都度克服するための地域的共同行為が繰り返されたと著者は見る。