上映から十年あまり。主人公レスターとほぼ同じ年代の私にとって、ようやく謎が解けました。
一見すると、家庭の崩壊とか、病めるアメリカ社会とかを描写した映画と受け止められましょう。しかし実は、人間の存在することの意味を問いかけている。それがテーマです。
アンジェラに恋心を抱いてしまう。これは切っ掛けであり、レスターも心身とも若返りを目指しました。そして終盤になり受け入れられた。この意味するところは、レスターが自分の存在を他者に認めてもらえたとの確信であって、欲望を満たすのが目的ではなかった。
彼自身そのことに気づき、彼女をガウンで覆う。でなければ説明つきません。
古い家族写真を見つめます。それは過去の自分の生きた証です。自分がこの世に存在する確かな手応えを感じた瞬間です。
自分の存在基盤が確固たる者がみれば、エロ親父の戯言(たわごと)としか映りませんし、自己の存在の不確かさを自覚している者がみれば、レスターの心境を理解するのに近づいてきます。
価値観とかモラルの問題をとりあえず脇に置いておいて。
この映画を見る者が、どういった人生を歩んできたか。それは長いのか短いか。男性か女性かによっても評価はむろん違ってくるでしょう。
アカデミー賞受賞に値するか。おそらく正しい答えはないです。あるいは他に肩を並べる候補作がなかった偶然が重なったとも考えられます。
まったく拒絶反応しか示せない人がいて当然です。先ほど述べたように、アメリカ社会の闇の部分を描いたと受け止めた人の意見もまた的外れではないでしょう。
しかし、自分が存在すること。それを他者が、家族であれ知人であれ、確かなる手応えを感じているか否か。それによって当作品は評価が分かれます。見る側のほうが、いかなる人生を歩んできたか。映画のほうから私たちに問いかけられているのです。