カルト的な人気を誇るブローティガン。その人気は何なのだろう?という疑問は本書でぶっ飛んだ。前に『愛のゆくえ』を読んだときには、なんか変な話と思っただけだった。だからこの本を読んで本当に驚いた。
『愛のゆくえ』のような、一風変わった内容の、しかし普通の小説か、と思っていたら、これは形式も内容もまるで変わっている。なるほど取り付かれる人たちがいるのはよくわかる。もちろん翻訳者(藤本和子)の腕のせいでもある。解説の柴田元幸は、これを「翻訳史上の革命的事件だった」と言っている。
最初の数ページの「銅像は大理石語でいうのだ」とか「『アメリカの鱒釣り』の表紙に午後5時が訪れるころ」なんていう表現に浸ってしまう。原文はどうなっているのか、ちょっと興味もわく。
詳しい註や長いあとがきも訳者の思い入れを感じさせるし、そうした点もいい本だ。とても気持ちよく読める。 柴田元幸が、非常に優れているとほめる「あとがき」。前半は自分の話なのに、小説がまだ続いているかと思わせるような見事なブローティガン調。こういうタレントが存在するということは喜ばしいことだ。後半は一転、見事なブローティガン論で、あとがきというよりほとんど論文。やはり優れた人なのだと頷く。
「文庫版へのあとがき」も、いい意味での歳月を感じさせて味があった。
ブローティガンを最初に、あるいは1冊だけ読むなら『アメリカの鱒釣り』と書いてあるが、まったく同感(他はあまり知らなくてもそう思ってしまう)。
この小説についての批評では、悲痛なものとして読むべき、といったかなり難しいことも言われているらしいが、あまり当たっていないという藤本さんの意見は正しいと感じた。私自身も何も考えずに読んだし、基本的に楽しんで読む本だろうと思う。