著者はアメリカに来て、日本にあったつながりがいったんリセットされ社会的にゼロになったことを感じたが、抜群の知力でもって、現地の人に自分の価値を認めさせ(たとえば学会発表での好評)、自分の場所をつくることに成功した(1年目はロックフェラーの奨学金生活、2年目は大学からの給与生活)。アメリカとの激しい格闘や葛藤がでてこないが、故意に書かなかったのでなければ、アメリカが、著者における日本からはみだした部分をうけいれてくれる場所として、心地よかったからのようだ(といっても、一時帰国したときに自分の外面がアメリカ人風の振る舞いになっていることに気がつき、恐怖を感じたという。「はみだしていない部分」においては当然日本人なわけである)。
本書から受ける印象だけをたよりにする限り、適者生存の場であるアメリカは、力ある著者にとっての葛藤の対象ではなく、自分の場所のようにみえる。とくに2年目から完全に教師として彼らに「与える」側にたちえており、そこには余裕すらみられる。だから本書では「奮闘」が語られることは少なく(めだつのは最初に、支給金を上げるようロックフェラー財団にかけあったところぐらいだ)、どちらかというとアメリカ的なものをいくらか内在化させたものとして冷静な目で、アメリカを眺めているような趣がある。
著者自身はアメリカ社会にくいこんでいけた側だが、くいこめない人々についても、自身のアメリカでの交友関係を題材に多く語り、現実的で残酷な差別社会の構造を照らし出している。通時的な記述はともすればダレがちだが、本書の場合、そこに織り込まれる考察がつぼをついたものであり、興味深く読み進められる。1960年代初頭の本だが、今読んでも目を開かせられるものがある。
(ちなみに『現代の文学27 江藤淳』(講談社、1972)にて読んだがレビューはここで。)