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古典的な三段論法としての演繹的推論,経験科学でよく利用される帰納法と並んで,第3の推論として注目されているのが「発見の推論」としてのアブダクションです。
本書は,アブダクション(abduction)を,アメリカの論理学者・科学哲学者であるチャールズ・S・パース(Charles Sanders Peirce:1839-1914)の著作(
"Collected Papers of Charles Sanders Peirce", Vol. 1-8, 1933)に基づいて詳しく解説するものです。
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本書で取り上げられている興味深い具体例のうち,ケプラーが発見した第1法則(「すべての惑星は,太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く」)を挙げて,アブダクションの特色を述べると以下の通りです(42-45頁)。
ニュートンの万有引力の法則が導かれる大きな要因となったケプラーの第1法則は,火星の軌道に関するティコ・ブラーエの観測データに基づいてなされましたが,「惑星の軌道は円軌道である」という従来の考え方(コペルニクスも,ガリレイも惑星の軌道は円軌道だと信じていました)をひっくり返す偉大な発見でした。本書では,ケプラーによる楕円軌道の発見は,「ニュートンにも決して劣らぬ強力な思索と想像力による大胆な仮説の形成です」(42頁)と評価されています)。
これを,科学的な推論とされてきた演繹推論の形で表すと以下のようになります。
=====≪演繹推論(deduction)≫=====
(1)大前提:惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く。
(2)小前提:火星は惑星である。
(3)結論:火星は,太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く。
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しかし,この推論は,ケプラーの第1法則が発見された後の正当化の推論であって,新しい価値を生み出すような推論ではありません。
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ケプラーの第1法則の発見は,実際には,次のような順序でなされています。
ケプラーの師であるティコ・ブラーエは,太陽が円軌道で地球を回るという天動説を採っていましたが,地球以外の惑星は,太陽の周りを円軌道で回っていると考えていました(ティコ・ブラーエの科学史上の功績については,
内井惣七『科学哲学入門−科学の方法・科学の目的』科学思想社(1995)146−147頁に詳しい説明があります)。
ところが,火星は,現在の言葉でいうと「離心率」が大きく,観測データが「円軌道」に従わないため,ティコ・ブラーエは,火星の軌道の研究をケプラーにゆだねたのでした。
ケプラーは,ティコ・ブラーエの火星の軌道の観測データ(地球から見た火星の動きの観測データ)に基づき,10年以上の歳月を掛けて試行錯誤を行った後に,火星が太陽の周りを回る軌道は「円軌道」ではなく,太陽を1つの焦点とする「楕円軌道」を描いていることを発見しました。
そして,ケプラーは,この発見を火星だけでなく,すべての惑星へと一般化して,「惑星は,太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く」という定式化を実現したのです。
この推論(発見の推論)のプロセスは,以下のように表現できます。
=====≪アブダクション(abduction)≫=====
(1)小前提:「火星は惑星である」
←(火星は,太陽の周りを回っている惑星であるが,観測データによると円軌道から外れている。それはなぜなのか?)
(2)結論:「火星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く」
←(観測データから導かれたケプラーの仮説。そして,この仮説によって演繹推論を行うと,ティコ・ブラーエの火星の観測結果を矛盾なく説明できることが判明した)
(3)大前提:「すべての惑星は,太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く」
←(帰納推論による一般化。これがケプラーの第1法則であり,この法則によって,すべての惑星の軌道が矛盾なく説明できる(結果的に,いわゆる「仮説演繹法」
内井『科学哲学入門』(1995)29-39頁参照とも一致する))。
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このような推論は,「小前提(データ)」→「結論(個別的仮説)」→「大前提(一般法則)」という順序となっているため,古典的な三段論法からすると,「後件肯定の誤謬」となって誤りとされるものです(63頁)。
しかし,このように,個別のデータ(小前提)に基づいて,仮説(結論)を生成し,それを一般化して科学的な法則(大前提)を導くという推論は,アブダクション(発見の推論)として重視されるべきであるというのが,本書の最も重要なポイントとなっています。
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上記の「発見の推論」(アブダクション)は,演繹推論とも,帰納推論とも異なっています。なぜなら,帰納推論の場合には,以下のような順序を踏むからです。
=====≪帰納推論(induction)≫=====
(1)結論:火星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く。
(2)小前提:火星は惑星である。
(3)大前提:惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く。
→(誤りの恐れがある一般化)
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このような帰納法は,一部の学説では,発見の推論の1つとして紹介されることがありますが,本書の立場では,法則を伴わない「データ」を出発点として,法則を発見するプロセスを踏むアブダクションとは,根本的に異なるものであるということになります。
なぜなら,帰納推論は,「法則(大前提)を導く」という点では,アブダクションと同じですが,上記のように,データではなく,発見すべき法則の具体例(三段論法の結論部分)を前提にしている点で,法則の「発見」の推論とは質が異なっているからです(103-128頁)。
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なお,「発見の推論」としてのアブダクションが,(1)「データ(小前提)」→(2)「仮説(結論)」→(3)「法則(大前提)」という順序をとって科学的な発見を導く推論である点に,演繹推論や帰納推論とは異なる特色を有していると考えるならば,これは,アリストテレスがアパゴーゲー(apagoge)と呼んでいたものであり,しかも,近年,議論の論理として定着しているトゥールミン・モデル(
Stephen E. Toulmin, "The Uses of Argument", 2003 p.92)が,(1)「データ」→(2)「主張」←(3)「理由づけ」という順序によって議論を展開していることとの類似性にも思いを致すことができます。
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本書は,以上のように,古典的な形式論理では,誤り(後件肯定の誤謬)とされた推論を,アブダクション(発見の推論)として復権させたパースの理論を紹介しつつ,その重要性を明らかにするものであり,高い価値が与えられるものであると思います。
ただし,本書の具体的な記述については,以下のような欠点があるように思われます。
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第1に,ある問題について,まず,著者の解説があり,次に,それに関する原典からの引用があり,さらに,その引用について著者が解説するというように,1回の記述で済むところを3回にわたって記述が繰り返されるという箇所が多数見うけられます。そのような繰り返しは「くどい」と感じられるだけであり,省略すべきであったと思われます。
第2に,演繹推論,帰納推論,アブダクション(発見の推論)とを,明確に区別することが本書の目的であるにもかかわらず,本書で紹介される具体例においては,それらの混同や誤りであると思われる箇所が目に付きます(81-84頁,190-199頁など)。
例えば,「三段論法の形式で表してみると,帰納は三段論法の小前提と結論から大前提を推論するという形式になっており,仮説(アブダクション)は,大前提と結論から小前提を推論するという形式になっています」(101頁)という記述は,もしも,これが正しいとすると,アブダクションは,発見の推論ではないということになってしまい,それまでの記述を無意味にしてしまうほどに重大な誤りだと思われます。
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本書に対する私の評価が低くなっているのは,以上の2つの理由によります。
それにもかかわらず,本書は,発見の推論について,教えられるところの多い貴重な著作であり,欠点を補って余りある内容を有しています。したがって,読者は,具体例については,内容を鵜呑みにせず,よく吟味しながら読まれると,誤りに陥ることなく,「発見の推論」について大きな成果を得ることができると思います。