序文と四つの章そして結びから本書は構成されています。第一章「ある傷ついた生活」は、アドルノの思想的軌跡を『啓蒙の弁証法』ほか代表的著作物を取り上げながら見ていきます。第二章「無調の哲学」では意識の哲学がテーマとなっています。主観/客観と社会の関係において、実証主義、観念論、唯物論などが主観の優位を説いたのに対し、アドルノは主観には客観が必要だと考えました(106、107頁)。第三章「砕かれた全体性――社会と心理」では、個人の心理と社会そして歴史哲学に関するアドルノの思考を見ていきます。歴史においてはその進行過程の中でメシアの介入による中断があるとするなど、アドルノ思想のユダヤ的構成要素がうかがえます(173-174頁)。第四章「操作としての文化、救済としての文化」で四つの章の中で最もページが割かれています。文化、文化産業、科学技術についてのアドルノによる批判を見た後、話題は音楽社会学へと移ります。音楽は社会を示すものとした上で(220-221頁)、ベートーヴェンの『荘厳ミサ曲』はブルジョワジーの啓蒙以前の過去からの解放の試みが失敗し、ここにブルジョワ的主観の崩壊をアドルノは見ています(240頁他)。ブルジョワ文化の崩壊後の様子を『ワーグナー研究』で描き、デカダンスに対する抵抗を第二ヴィーン学派で見出していたとしています。最後は大著『美学理論』を引いて芸術を管理された世界に対する抵抗とみなし続けたアドルノの思想を見ていきます。
「階級そのものの消滅などということは単なる幻想にすぎない。・・・・・・主観的には糊塗されているにしても、客観的には、不断に進行する資本の集中にともなって、諸階級間の格差もまた増大しているのである」(151頁)。これはアドルノ思想の現代性を示すものだと思います。アドルノの思想を歩み始まる際、本書は入門書として優れていると私は思います。