夜になると曜日を問わず、互いの家に集い、挨拶代わりにガンジャを吸って、今日仕入れたばかりのゴアトランスの12inchを聞きながら、強烈な楽観主義に彩られた意識の進化論について熱く語り、週末ごとに日本中のパーティーを目指して短いが過去に体験した事のないほどの深度の旅に出て、様々な人々と出会い、別れ、互いの意識、人生を共有し、共感し、与えあい、奪い合い、アガったり、落ちたりを繰り返し、この世界の生の果てまでも突き抜けようとする激しい衝動に自身の身を加速させながら、永遠をつかみ取ったり、他者の視線の中に人間関係の地獄を体験したり、自己愛と諦め、主観と客観、自己と他者のなかで知らず知らずのうちに健康な心をすり減らしながら、それでも奇跡の逆転劇に命を賭けて、それのみが人生の目的かのように、音楽と、ダンスと、ドラッグと、この世界の秘密に取り憑かれてパーティーに通った日々。その中で記されす、書き留められず、記憶の彼方に消え去ってしまったコトバ、気持ち、気付きがこの本の中に残されている。この本は作者の体験をリアルにもとにしたものだけれど、これらの記憶はあの当時(そして今も)トランスが好きで、このシーンに関わっていた人間達の記憶でもある。
いま生きている事を最高な事だと思えるように生きてこられた事に感謝。
清野栄一やゴルゴ内藤に続くトランス文学がまた一つ。1990年代中盤から続く日本におけるサイケデリックカルチャーがこれらの表現に到達するまで10年の年月が必要だったこと。あれだけの人間が心底衝撃を受けたこの体験を、形にするのにはこれだけの時間が必要であった事を驚くべきであろう。逆説的に如何にサイケデリックな体験を対象化する事が困難かという事が判るし、その内容が普遍的であることの証だと思う。