出版社 / 著者からの内容紹介
自爆テロで死んでいった女性シャヒードの多くは、顔も持たなければ名前も持たない。
筆者は本書の中で彼女たちに名前を戻し、顔を再現させることによって、彼女たちもまた犠牲者の一人なのだということを訴えようとしている。
彼女たちが己の引き起こした自爆テロの犠牲者であることは、彼女たちの罪を軽くするものでは決してない。
だが、犠牲者としての彼女たちの側面を認めることによって初めて、自爆テロを引き起こす根源的な問題に近づくことができる。そしてこの根源的な問題を直視することなくして、ロシア全土を恐怖で揺るがす「自爆テロ」の女性決死隊の問題を解決することはできないのだということを、筆者は祈るような思いを込めて我々に伝えようとしている。
筆者は本書の中で彼女たちに名前を戻し、顔を再現させることによって、彼女たちもまた犠牲者の一人なのだということを訴えようとしている。
彼女たちが己の引き起こした自爆テロの犠牲者であることは、彼女たちの罪を軽くするものでは決してない。
だが、犠牲者としての彼女たちの側面を認めることによって初めて、自爆テロを引き起こす根源的な問題に近づくことができる。そしてこの根源的な問題を直視することなくして、ロシア全土を恐怖で揺るがす「自爆テロ」の女性決死隊の問題を解決することはできないのだということを、筆者は祈るような思いを込めて我々に伝えようとしている。
内容(「BOOK」データベースより)
死を決し、人の波の中にまぎれこんでいくロシアチェチェンの女性自爆テロリストの悲しい素顔!その「選択」の背景にあるのは「信仰」「政治的理念」ではなく「個人的な悲劇」「人身売買」「薬物利用」の衝撃的真実。
内容(「MARC」データベースより)
意思ではなく、起爆装置はリモコン操作だった-。なぜ彼女達は「生きた爆弾」になったのか。死を決し、人の波の中に紛れ込んでいくロシアチェチェンの女性自爆テロリストの悲しい素顔と、その「選択」の背景にある衝撃的真実。
出版社からのコメント
20代前半の新鋭女性ジャーナリストの著者は、1年以上チェチェン内をまわり、自爆テロで死んでいった女性シャヒードたちをその恐ろしい行為に駆り立てた真実の理由を探ろうとした。本書はその克明な記録である。
自爆テロで死んでいった女性シャヒードたちの家族、友人など周囲の人々から話を聞く過程で浮かび上がる「女性シャヒード」の本当の顔。そして、その顔の向こうには彼女を過激な死に駆り立てた、「信仰」や「政治的なイデー」とは無関係な、いたって個人的な悲劇の痕跡がある。
「誰一人として、イデーや信仰や、あるいは自分たちの民族のために自らを殺したわけではない。本書のページをめくりながら、読者は自ずからそれを知ることになるだろう。
死にたくないと思っていても、彼女たちには選択の余地がない。そして彼女たちの人生における最後の決断、すなわち爆弾装置にスイッチを入れるということまでもが、別人の手によって行われることさえ多々あるのだ。」(序文より引用)
筆者はこれを、チェチェンの女性シャヒードたちをパレスチナやその他の国の女性自爆テロリストたちと区別する特徴とし、そうしたチェチェンの女性シャヒードたちに焦点をあて、そのあるがままの姿を再現し、彼女たちの背景を理解することによって、新しい女性シャヒードの登場を食い止めようとしている。
自爆テロで死んでいった女性シャヒードたちの家族、友人など周囲の人々から話を聞く過程で浮かび上がる「女性シャヒード」の本当の顔。そして、その顔の向こうには彼女を過激な死に駆り立てた、「信仰」や「政治的なイデー」とは無関係な、いたって個人的な悲劇の痕跡がある。
「誰一人として、イデーや信仰や、あるいは自分たちの民族のために自らを殺したわけではない。本書のページをめくりながら、読者は自ずからそれを知ることになるだろう。
死にたくないと思っていても、彼女たちには選択の余地がない。そして彼女たちの人生における最後の決断、すなわち爆弾装置にスイッチを入れるということまでもが、別人の手によって行われることさえ多々あるのだ。」(序文より引用)
筆者はこれを、チェチェンの女性シャヒードたちをパレスチナやその他の国の女性自爆テロリストたちと区別する特徴とし、そうしたチェチェンの女性シャヒードたちに焦点をあて、そのあるがままの姿を再現し、彼女たちの背景を理解することによって、新しい女性シャヒードの登場を食い止めようとしている。
カバーの折り返し
妻はすぐに気を失って倒れてしまいました。彼女が手当てを受けている間、自分はすべてを袋の中に詰めていました。頭の他にのこったのは片方の肩と、爪のついた一本の指だけでした。すべてを袋に入れました。アイザからのこったのは、全部で五、六キロそこそこのものです。
テロリズム-内側からの眼
「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙の特派員ユリヤ・ユージックは、自爆した「シャヒード」の女の子たちを知る者と会いながら、チェチェンで三カ月間過ごした。
永遠にやむことなく続く戦いの中でお互いに殺しあう「あちら側」や「こちら側」の代表者たち会ってきた。
いったい何のために?
それは真実を知るためである。
なぜ、ロシアが"生きた爆弾"女性たちの数で、世界有数の国になったのかを知るためである。
また、自らすすんで死に向かうチェチェン人女性たちがどうなっていったかを知るためである。
無数の異なる運命。
しかし結末はひとつだ。
爆発、あるいは、ミュージカル"ノルド・オスト"で人質をとってたてこもった者たちのように、頭部に受ける弾丸。
異なるのはモチーフだけだ。
罪状も逮捕状もなにもなく、私刑にされた夫の死を経験した女性、両親に金銭と引き換えに売られた女性。そう、わずか数万ドルで、娘がどこに向かうかを知りつつも、その
娘たちを売った親。ある者は、わざわざバーブ教徒に嫁にとられ、麻薬づけにさせられ、"シャヒード"のベルトを結わえつけられた。
こうした女性たちを憎悪するのは勝手である。
しかし、ここにゆるぎない事実がある。
それは、このうちのほんのわずか数えるほどの者が、自らの信念をもって他の人を殺しに行ったということである。
すでにどれほどのチェチェン人女性が死んだのだろう。
これから先、死んでいくチェチェン人女性の数は?
しかし、本書が印刷にまわされた後、モスクワでは新たな爆発がホテル『ナショナル』で鳴り響き、新たに人々が殺された。
もしかしたらこの歴史は永遠に終わることがないのではないのだろうか? 「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙
カバーの折り返し
妻はすぐに気を失って倒れてしまいました。彼女が手当てを受けている間、自分はすべてを袋の中に詰めていました。頭の他にのこったのは片方の肩と、爪のついた一本の指だけでした。すべてを袋に入れました。アイザからのこったのは、全部で五、六キロそこそこのものです。
テロリズム-内側からの眼
「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙の特派員ユリヤ・ユージックは、自爆した「シャヒード」の女の子たちを知る者と会いながら、チェチェンで三カ月間過ごした。
永遠にやむことなく続く戦いの中でお互いに殺しあう「あちら側」や「こちら側」の代表者たち会ってきた。
いったい何のために?
それは真実を知るためである。
なぜ、ロシアが“生きた爆弾”女性たちの数で、世界有数の国になったのかを知るためである。
また、自らすすんで死に向かうチェチェン人女性たちがどうなっていったかを知るためである。
無数の異なる運命。
しかし結末はひとつだ。
爆発、あるいは、ミュージカル“ノルド・オスト”で人質をとってたてこもった者たちのように、頭部に受ける弾丸。
異なるのはモチーフだけだ。
罪状も逮捕状もなにもなく、私刑にされた夫の死を経験した女性、両親に金銭と引き換えに売られた女性。そう、わずか数万ドルで、娘がどこに向かうかを知りつつも、その
娘たちを売った親。ある者は、わざわざバーブ教徒に嫁にとられ、麻薬づけにさせられ、“シャヒード”のベルトを結わえつけられた。
こうした女性たちを憎悪するのは勝手である。
しかし、ここにゆるぎない事実がある。
それは、このうちのほんのわずか数えるほどの者が、自らの信念をもって他の人を殺しに行ったということである。
すでにどれほどのチェチェン人女性が死んだのだろう。
これから先、死んでいくチェチェン人女性の数は?
しかし、本書は、モスクワでは新たな爆発がホテル『ナショナル』で鳴り響き、新たに人々が殺された。
もしかしたらこの歴史は永遠に終わることがないのではないのだろうか? 「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙
テロリズム-内側からの眼
「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙の特派員ユリヤ・ユージックは、自爆した「シャヒード」の女の子たちを知る者と会いながら、チェチェンで三カ月間過ごした。
永遠にやむことなく続く戦いの中でお互いに殺しあう「あちら側」や「こちら側」の代表者たち会ってきた。
いったい何のために?
それは真実を知るためである。
なぜ、ロシアが“生きた爆弾”女性たちの数で、世界有数の国になったのかを知るためである。
また、自らすすんで死に向かうチェチェン人女性たちがどうなっていったかを知るためである。
無数の異なる運命。
しかし結末はひとつだ。
爆発、あるいは、ミュージカル“ノルド・オスト”で人質をとってたてこもった者たちのように、頭部に受ける弾丸。
異なるのはモチーフだけだ。
罪状も逮捕状もなにもなく、私刑にされた夫の死を経験した女性、両親に金銭と引き換えに売られた女性。そう、わずか数万ドルで、娘がどこに向かうかを知りつつも、その
娘たちを売った親。ある者は、わざわざバーブ教徒に嫁にとられ、麻薬づけにさせられ、“シャヒード”のベルトを結わえつけられた。
こうした女性たちを憎悪するのは勝手である。
しかし、ここにゆるぎない事実がある。
それは、このうちのほんのわずか数えるほどの者が、自らの信念をもって他の人を殺しに行ったということである。
すでにどれほどのチェチェン人女性が死んだのだろう。
これから先、死んでいくチェチェン人女性の数は?
しかし、本書は、モスクワでは新たな爆発がホテル『ナショナル』で鳴り響き、新たに人々が殺された。
もしかしたらこの歴史は永遠に終わることがないのではないのだろうか? 「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙
著者について
YULIA YUZIC1
1981年、南ロシアのドネツク市で生まれる。ロストフ・ナ・ドヌーの大学のジャーナリズム学科卒業後、モスクワの「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙のロストフ支局で勤め、その後、モスクワ中央局に移る。2002年に自爆テロ犯女性たちについての最初の取材でチェチェンを訪れる。ミュージカル“ノルド・オスト”人質占拠事件勃発の後、本書のための取材活動並びに執筆に専念。2004年1月から「ニューズ・ウィーク」誌のロシア支局に勤める。
1981年、南ロシアのドネツク市で生まれる。ロストフ・ナ・ドヌーの大学のジャーナリズム学科卒業後、モスクワの「コムソモリスカヤ・プラヴダ」紙のロストフ支局で勤め、その後、モスクワ中央局に移る。2002年に自爆テロ犯女性たちについての最初の取材でチェチェンを訪れる。ミュージカル“ノルド・オスト”人質占拠事件勃発の後、本書のための取材活動並びに執筆に専念。2004年1月から「ニューズ・ウィーク」誌のロシア支局に勤める。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ユージック,ユリヤ
1981年、南ロシアのドネツク市で生まれる。ロストフ・ナ・ドヌーの大学のジャーナリズム学科卒業後、モスクワの「コムソモリスカヤ・プラウダ」紙のロストフ支局で勤め、その後、モスクワ中央局に移る。2002年に自爆テロ犯女性たちについての最初の取材でチェチェンを訪れる。ミュージカル“ノルド・オスト”人質占拠事件勃発の後、『アッラーの花嫁たち―なぜ「彼女」たちは“生きた爆弾”になったのか』のための取材活動並びに執筆に専念する。2004年1月から「ニューズウィーク」誌のロシア支局に勤める。文化部記者と結婚、娘が一人いる
山咲 華
2000年より翻訳、通訳、ライターとして活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1981年、南ロシアのドネツク市で生まれる。ロストフ・ナ・ドヌーの大学のジャーナリズム学科卒業後、モスクワの「コムソモリスカヤ・プラウダ」紙のロストフ支局で勤め、その後、モスクワ中央局に移る。2002年に自爆テロ犯女性たちについての最初の取材でチェチェンを訪れる。ミュージカル“ノルド・オスト”人質占拠事件勃発の後、『アッラーの花嫁たち―なぜ「彼女」たちは“生きた爆弾”になったのか』のための取材活動並びに執筆に専念する。2004年1月から「ニューズウィーク」誌のロシア支局に勤める。文化部記者と結婚、娘が一人いる
山咲 華
2000年より翻訳、通訳、ライターとして活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
帯より
世界中が涙。」こんな悲しい事実は、真実なのか。
彼女の意志ではない。起爆装置はリモコン操作だった。
死を決し、人の波の中にまぎれこんでいく
ロシアチェチェンの女性自爆テロリストの悲しい素顔。
その「選択」の背景にあるのは「信仰」「政治的理念」ではなく
「個人的な悲劇」「人身売買」「薬物利用」の衝撃的真実.。
地下鉄の入り口、階段、改札口、エスカレーター、劇場、今度はどこが狙われるのか。
世界各国で翻訳。ロシアで発売禁止の問題作。日本語翻訳権独占。
彼女の意志ではない。起爆装置はリモコン操作だった。
死を決し、人の波の中にまぎれこんでいく
ロシアチェチェンの女性自爆テロリストの悲しい素顔。
その「選択」の背景にあるのは「信仰」「政治的理念」ではなく
「個人的な悲劇」「人身売買」「薬物利用」の衝撃的真実.。
地下鉄の入り口、階段、改札口、エスカレーター、劇場、今度はどこが狙われるのか。
世界各国で翻訳。ロシアで発売禁止の問題作。日本語翻訳権独占。
抜粋
序文にかえて
「あなたはあの女どもの何について書きたいの? 弁明? あの女どもによって殺された子供たち、若者たち、女性たち、老人、その弁明なの? あの女どもに対する人々のあわれみを呼びさまそうとしているの? そもそもあなたには今、いったい何が起こっているのかわかっているの? あの女どもは私たちの.子供たちを殺しているのよ。彼女らが許されることはないわ!」と私は一度ならず言われました。
あるいは「あの女どもが地獄の青い炎で焼かれたらと、どんなにか望んでいることか! 私の息子はただチケットを買おうとして列に並んでいただけなのよ。ただ、コンサートに行っただけなのよ。あの女どもに対して何も悪いことはしてこなかったわ。勉強して、生きたいと望み、恋をしたいと望んでいただけ。あの女どもを憎悪するわ!」と。
これはトゥシノのロック・フェスティバルで起きたテロ事件についてのひとことです。モスクワは自爆したふたりのチェチェン人の女の子たちによって震撼させられました。彼女たちの死のベルトから飛んだ針金、釘、火薬の破片は、ロシアに住んでいるすべての者の心臓を貫きました。
犠牲になった人々がかわいそうだからではありません。死の女が今度は自分のかたわらにたたずむかもしれないことを、皆恐れたからです。
「君は連中の何について書こうとしているんだ? 彼女たちがどこで生まれ育ち、そしてどうやって生きた爆弾.になったかということを列挙したジャーナリスティックな調査報告か? しかし、それだったら新聞がもうすでに書いているぞ。昨日だってこんな記事が載っていた。女性テロリストはテロ行為を起こす半年前に家から連れ去られた…… 、そして…… ほら……、彼女はぬいぐるみのクマが好きで、両親の言うことをよく聞く子だった……、兄はバーブ教信者だった.だからどうだって言うんだ。この記述によって今、起こっていることの何かが明らかになるとでもいえるのか? 彼女たちについて書かなければいけなくなるのは、すべてが終わってからだ。そのとき出版しよう。いったいすべては何だったのか、と分析をし、結論を導くのだ」と、某出版社の編集者は私に言いました。 でも、私はすべてが終わってから書くのでは嫌なのです。なきがらを数え、ロシア史における新しい現象.の悲しい結論を導き出したくなどないのです。
もっともそれができればその方が楽に違いありません。数を数えて、分析をして、そしてあなた方と私は衝撃的な歴史の瞬間の目撃者だったのだ、と語ることができれば。
いいえ、私は今日のロシアの新しい現象.について書きたいのです。それも今、この瞬間に。一日たりとも時間を延ばせません。 なぜなら私はすでに起きてしまったテロ行為の数を数えたいのではなく、それをあらかじめ阻止したいからなのです。「通報を受けたことは、予防されたことに等しき」
私は一年かけてチェチェンのすみずみを回り、自分自身を爆破したこれらの女性たちに関する真実を一片ずつ集めてきました。なぜ彼女たちはそんなことをしたのでしょうか。理念のためだったのでしょうか? 男のため? それとも選択の余地がなかったから? 真実というものは、間違いなく存在します。それを探し出さなければいけないだけで、真実は向こう側.すなわち治安当局側と、我々側.、すなわち治安当局側が掲げるプロパガンダの狭間のどこかに存在するのです。
それで? 本はすでに書き終わっています。最後の句読点に至るまでふられ、仕上がっているのです。しかし頭を上げ、自分の周囲にいる人々が語る言葉に耳を傾けはじめると、途端に途方に暮れてしまいます。
嘘、嘘、そして嘘があふれています。私たちは皆、偽りの中で生きているのです。私たちはテレビのブラウン管から流れる言葉を 信じています。しかしその言葉とはいったいどんなものなのでしょうか? 国際テロリズムについて、シャミール・バサエフの黒き未亡人たちの一団について、新しく計画されているロシアの中でのテロ行為について、また生きた爆弾に立ち向かうことが不可能だということについての数々の云々。
某雑誌にいたっては、災害時やテロ行為が起きた時にどうやって対処するかを教える大都市でのサバイバル方法という授業を学校のカリキュラムに導入したらどうかと提案したほどです。
モスクワ―パレスチナ、女シャヒードたち。そしてすべての人々がそれを信じています。すべての人々がそれを待ち、恐れているのです。 しかし、ロシアが数百年にわたって繰り広げてきたコーカサスを舞台とした戦争で、これまで一度たりともチェチェン人、そしてましてやチェチェン人女性が自らに火薬を巻きつけ、自爆したケースなどなかったことに、誰ひとりとして考えがおよぶ者はいません。
「残酷なチェチェン人は岸辺を這い、自らの短剣を磨とぐ」とロシアの文豪レールモントフは書いています。
敵の背後から回り込むにせよ、面と向かい合って戦うにせよ、チェチェン人の武器は常に短剣であり続けました。そして自らを殺すことは、恥とされていました。戦士は血の最後の一滴まで戦わなければならなかったからです。
一方、女性は戦いに参加することはまったくありませんでした。彼女たちは子供を生み、家を守りながら夫たちが戻ってくるのを待っていました。山岳地の住民である彼女たちは常に夫の背の後ろに控えていました。
決して前面にしゃしゃり出ることなく、口数も少なくたたずんでいたのです。女性が武器を手に取ったり、表舞台に出てきたりというのは、これまで聞いたこともないようなこと、あり得ないことでした。
ロマノフ王家のミハイル大公は、一八六四年にコーカサスで起こった出来事に驚愕し、ミリューチン陸軍大臣に次のように報告しています。
チェチェンにおいて、これまで起こったことがないことが勃発しました! 三千人もの狂信者たち( そしてその中には何人かの女まで含まれていました) が、銃は持たず、短剣と軍刀を持って熱狂した様子で、六つの大隊から成る私たちの部隊に向かって歩いてきました。私たちの部隊は手に銃を持って、微動だにせずにかまえていました。彼らは三十サージェン( 訳注: 一サージェンは二.三千メートル) の距離まで近づきました。そして私たちの部隊の向かって左側にいた人間が合図をし、彼らはいっせいに私たちに向かって碁盤目状に突進してきました。その時、トゥマノフ公爵が射撃の合図を出し、部隊は途切れることなく銃弾を浴びせかけました。そして数分後、突撃隊は…… 完全な混乱状態の中で駆け出しました。反乱軍の犠牲者数はまだ明らかにされていませんが、銃剣に突き貫かれて死んだ者の中には、五人の女の遺体ものこされています
大公は単に皇帝軍に立ち向かった「生きた楯」の狂気の沙汰に驚いたのではありません。それよりもむしろ、その一群の中にチェチェン人女性の姿も見られ、しかも彼女たちも銃剣に立ち向かっていったという事実に驚いています!
戦闘によって荒れ果て、悲しみによって焼き尽くされた現代史の中のチェチェンにおいては、チェチェン人女性にできた最大の抵抗は、殺された夫の肖像を掲げて集会に参加したり、外国序文にかえてからの代表団を乗せた車の前に身を横たえることくらいでした! このようにして彼女たちは自らの絶望と、あとかたもなく消息をたった息子たちに対する抗議の念を表明したのです。
それではなぜロシアが生きた爆弾.の数で世界の強豪を追い抜き、トップの座にのぼりつめたのかということについて誰も考えようとはしないのでしょうか? 世界に目を向ければ、女性たちは過去にも自爆テロを行っていました。スリランカのテロ組織(「タミール・イラーム解放のトラ」)、トルコのテロ組織(クルディスタンのマルクス主義労働者党)、パレスチナのテロ組織は、約十年間にわたってテロ行為を行う上で女性を利用してきました。たとえば、インドのラジブ・ガンジー首相は女性決死隊員によって暗殺されました(一九九一年)。彼女は爆発装置をサリーの中にひそませていました。またスリランカのクマラトウンガ大統領の暗殺未遂も女性テロリストによって行われました(一九九六年)。
トルコでは(決死隊が参加した最後の戦争は一九九九年に行われました)、三年間のうちに二十人もの若い女性自爆テロ犯が自爆死しました。そしてパキスタンでは二〇〇二年に、新聞社の編集部で女性自爆テロ犯が自らを自爆させ、それによってふたりの人が犠牲になったのです。
イスラエルでは別の史実が記されています。女性自爆テロ犯が参加したテロ行為が最初に起こったのは二〇〇二年、エルサレム市においてでした。女子学生が自らをディスコ内で爆破させ、それによってひとりが死亡し、百名が重軽傷を負いました。そのあとイスラエルとガザ地区の境に位置する検問所でふたりの子供の母親である二十歳のリム・ライシが自らを爆破しました。若い女性はこの行為よって四名のイスラエル人をあの世に道連れにしました。 おそらくもっともセンセーショナルなテロ事件は二〇〇三年十月に、ハイファ市へ入る南の入り口に位置するレストランマキシム.において、パレスチナ人女性が行った自爆テロ事件でしょう。二十九歳のハナディ・ドジャラダトがレストランに入った時、店内は人であふれかえっていました。ハナディはひとりで死んでいったのではありません。彼女は二十一人もの人を道連れにしたのです。
チェチェンとパレスチナの女性決死隊員の動向を観察すると、チェチェンのテロ行為をパレスチナ人女性たちが繰り返していった印象を受けます。これは驚くべき偶然性によるのでしょうか。
最初に女性自爆テロ犯を使ったテロ行為がチェチェンで起こったのは、二〇〇一年の夏のことでした。イスラエルではそれから半年後に起こります。二〇〇三年七月、チェチェン人女性がモスクワのレストラン内で自爆する予定になっていました。それが未遂に終わったのは、彼女が降伏したからです。それから半年後、中近東において同じくレストラン内で自爆テロが決行されたのです。ただし、こちらは成功しています。
しかしここでその類似性は終わります。パレスチナの女シャヒードたちは、自らの民族の苦 悩、自らの信仰と、自らの聖なる地の一片のために復讐をくわだてたいと望む、燃えたぎる溶岩のようにいきり立つ若い女性たちです。
たとえばハナディ・ドジャラダトは、単に信仰の上でつながっている抽象的な兄弟や姉妹のために復讐をしていたのではありません。彼女はイスラエル人によって殺された自分の弟の復讐をしていたのです。しかし、彼女たちは自ら死を選んだのだという点を強調したいのです。自分で死に向かい、そして自爆したのです。ハナディにしても同様です。レストランに侵入するために彼女はレストランの前にいる警備員を殺して中に入っているのです。
それは彼女らの選択でした。恐ろしい選択ではありますが、選択であることに違いはありません。ところがロシアでは、自爆テロを行うチェチェン人女性は、通常自分で死にはしないのです。
遠距離操作で彼女たちは自爆させられます。
チェチェンの女性決死隊たちは、卑劣な方法で殺害されます。そしてそれは独特な恐ろしいロシア=チェチェンのやり方なのです。
中近東の女シャヒードを数えるには、片手の五本指で足ります。パレスチナでは彼女たちの顔は、ハガキやプラカードに載っていたりします。「そして自らの民衆のために死んだのだ」と、街のいたるところで彼女たちはたたえられています。
一方、ロシアではそのことに関しては、皆、口をつぐんでいます。恥ずかしげに黙っています。誰も彼女らの名前を知らないし、なぜ彼女たちが自らを殺す決意をしたのかも知りません。死んだ娘たちについてたずねられると、親は目を伏せます。パレスチナで女シャヒードであることは名誉なことであるのに対して、ここではそれは恥なのです。すべての人間が沈黙しているのです。まるで、ロシアには自らの血に濡れた日々がないかのように。そしてあたかもロシアが、そのミュージカルノルド・オスト.を上演中の劇場人質占拠事件によって数百の人々を弔ったことがないかのように。偶然の通行人、ロック・フェスティバルにやってきた青年たち、そして朝、地下鉄に乗って仕事場に向かっていた人々を、まるでロシアが弔ったことがないかのように。
イスラエルでは生きた爆弾.である女性自爆テロ犯は、さほど頻繁に宙に舞い上がってはいません。そこでの出来事はむしろ単発の銃撃のような様相を見せています。一方、ロシアで今日、起こっていることは、ロケット弾の爆撃のような印象を与えます。
「シャヒードのベルト」を着けた約四十人の決死隊女性、そしてそれによる数百もの犠牲者の数は、パレスチナにとってさえ多すぎます。母親たち、女性たち、姉妹たち、娘たち。そしてこの本の最後のページをめくったら読者の皆さんはなぜ、私がこれらすべてを書かずにはいられなかったかを理解してくれるでしょう。それは黙って見過ごすことはできないものなのです。恥ずかしそうに隠したりしてはいけないことなのです。それは恐ろしい悲しみであり、それについて叫ばずにはいられなくなるような凶事なのです。
かくして二〇〇〇年に、華奢な女の子であるハーバ・バラエワが爆薬を積んだトラックをチェチェン内のロシア軍信号監視所に向けて走らせていた時、いったい本当のところ何が起こったのでしょうか? ハーバはそれによって最初の女シャヒードになりました。
チェチェン人女性たちに何が起きたのでしょう?
私たちにいったい何が起きたのでしょう!
そしてなぜ私たちは貝のように口を閉ざしているのでしょうか!
私は自分の国を爆破している女性自爆テロ犯たちについて書いています。私は読者の皆さんに、彼女たちがいったいどういう人間だったのかを話したいと思います。彼女たちをひとりひとり、面と向かって知っていてもらいたいと思います。そしてどのように、なぜ彼女らが自分自身を爆破させたのかを知ってもらいたいのです。「いったいあなたは彼女たちの何について書こうとするの? 弁明しようとしているの? 私はあの女どもを憎悪するし、呪っているわ。あいつらは私の息子を殺した。そんなの女.だなんて言えない?! 」
いや、彼女たちも女の人です。私たちと同じように。そして私たちの涙も彼女たちの涙も同じように塩辛いのです。
私がこの本の中で書いたのは、そのことです。
「あなたはあの女どもの何について書きたいの? 弁明? あの女どもによって殺された子供たち、若者たち、女性たち、老人、その弁明なの? あの女どもに対する人々のあわれみを呼びさまそうとしているの? そもそもあなたには今、いったい何が起こっているのかわかっているの? あの女どもは私たちの.子供たちを殺しているのよ。彼女らが許されることはないわ!」と私は一度ならず言われました。
あるいは「あの女どもが地獄の青い炎で焼かれたらと、どんなにか望んでいることか! 私の息子はただチケットを買おうとして列に並んでいただけなのよ。ただ、コンサートに行っただけなのよ。あの女どもに対して何も悪いことはしてこなかったわ。勉強して、生きたいと望み、恋をしたいと望んでいただけ。あの女どもを憎悪するわ!」と。
これはトゥシノのロック・フェスティバルで起きたテロ事件についてのひとことです。モスクワは自爆したふたりのチェチェン人の女の子たちによって震撼させられました。彼女たちの死のベルトから飛んだ針金、釘、火薬の破片は、ロシアに住んでいるすべての者の心臓を貫きました。
犠牲になった人々がかわいそうだからではありません。死の女が今度は自分のかたわらにたたずむかもしれないことを、皆恐れたからです。
「君は連中の何について書こうとしているんだ? 彼女たちがどこで生まれ育ち、そしてどうやって生きた爆弾.になったかということを列挙したジャーナリスティックな調査報告か? しかし、それだったら新聞がもうすでに書いているぞ。昨日だってこんな記事が載っていた。女性テロリストはテロ行為を起こす半年前に家から連れ去られた…… 、そして…… ほら……、彼女はぬいぐるみのクマが好きで、両親の言うことをよく聞く子だった……、兄はバーブ教信者だった.だからどうだって言うんだ。この記述によって今、起こっていることの何かが明らかになるとでもいえるのか? 彼女たちについて書かなければいけなくなるのは、すべてが終わってからだ。そのとき出版しよう。いったいすべては何だったのか、と分析をし、結論を導くのだ」と、某出版社の編集者は私に言いました。 でも、私はすべてが終わってから書くのでは嫌なのです。なきがらを数え、ロシア史における新しい現象.の悲しい結論を導き出したくなどないのです。
もっともそれができればその方が楽に違いありません。数を数えて、分析をして、そしてあなた方と私は衝撃的な歴史の瞬間の目撃者だったのだ、と語ることができれば。
いいえ、私は今日のロシアの新しい現象.について書きたいのです。それも今、この瞬間に。一日たりとも時間を延ばせません。 なぜなら私はすでに起きてしまったテロ行為の数を数えたいのではなく、それをあらかじめ阻止したいからなのです。「通報を受けたことは、予防されたことに等しき」
私は一年かけてチェチェンのすみずみを回り、自分自身を爆破したこれらの女性たちに関する真実を一片ずつ集めてきました。なぜ彼女たちはそんなことをしたのでしょうか。理念のためだったのでしょうか? 男のため? それとも選択の余地がなかったから? 真実というものは、間違いなく存在します。それを探し出さなければいけないだけで、真実は向こう側.すなわち治安当局側と、我々側.、すなわち治安当局側が掲げるプロパガンダの狭間のどこかに存在するのです。
それで? 本はすでに書き終わっています。最後の句読点に至るまでふられ、仕上がっているのです。しかし頭を上げ、自分の周囲にいる人々が語る言葉に耳を傾けはじめると、途端に途方に暮れてしまいます。
嘘、嘘、そして嘘があふれています。私たちは皆、偽りの中で生きているのです。私たちはテレビのブラウン管から流れる言葉を 信じています。しかしその言葉とはいったいどんなものなのでしょうか? 国際テロリズムについて、シャミール・バサエフの黒き未亡人たちの一団について、新しく計画されているロシアの中でのテロ行為について、また生きた爆弾に立ち向かうことが不可能だということについての数々の云々。
某雑誌にいたっては、災害時やテロ行為が起きた時にどうやって対処するかを教える大都市でのサバイバル方法という授業を学校のカリキュラムに導入したらどうかと提案したほどです。
モスクワ―パレスチナ、女シャヒードたち。そしてすべての人々がそれを信じています。すべての人々がそれを待ち、恐れているのです。 しかし、ロシアが数百年にわたって繰り広げてきたコーカサスを舞台とした戦争で、これまで一度たりともチェチェン人、そしてましてやチェチェン人女性が自らに火薬を巻きつけ、自爆したケースなどなかったことに、誰ひとりとして考えがおよぶ者はいません。
「残酷なチェチェン人は岸辺を這い、自らの短剣を磨とぐ」とロシアの文豪レールモントフは書いています。
敵の背後から回り込むにせよ、面と向かい合って戦うにせよ、チェチェン人の武器は常に短剣であり続けました。そして自らを殺すことは、恥とされていました。戦士は血の最後の一滴まで戦わなければならなかったからです。
一方、女性は戦いに参加することはまったくありませんでした。彼女たちは子供を生み、家を守りながら夫たちが戻ってくるのを待っていました。山岳地の住民である彼女たちは常に夫の背の後ろに控えていました。
決して前面にしゃしゃり出ることなく、口数も少なくたたずんでいたのです。女性が武器を手に取ったり、表舞台に出てきたりというのは、これまで聞いたこともないようなこと、あり得ないことでした。
ロマノフ王家のミハイル大公は、一八六四年にコーカサスで起こった出来事に驚愕し、ミリューチン陸軍大臣に次のように報告しています。
チェチェンにおいて、これまで起こったことがないことが勃発しました! 三千人もの狂信者たち( そしてその中には何人かの女まで含まれていました) が、銃は持たず、短剣と軍刀を持って熱狂した様子で、六つの大隊から成る私たちの部隊に向かって歩いてきました。私たちの部隊は手に銃を持って、微動だにせずにかまえていました。彼らは三十サージェン( 訳注: 一サージェンは二.三千メートル) の距離まで近づきました。そして私たちの部隊の向かって左側にいた人間が合図をし、彼らはいっせいに私たちに向かって碁盤目状に突進してきました。その時、トゥマノフ公爵が射撃の合図を出し、部隊は途切れることなく銃弾を浴びせかけました。そして数分後、突撃隊は…… 完全な混乱状態の中で駆け出しました。反乱軍の犠牲者数はまだ明らかにされていませんが、銃剣に突き貫かれて死んだ者の中には、五人の女の遺体ものこされています
大公は単に皇帝軍に立ち向かった「生きた楯」の狂気の沙汰に驚いたのではありません。それよりもむしろ、その一群の中にチェチェン人女性の姿も見られ、しかも彼女たちも銃剣に立ち向かっていったという事実に驚いています!
戦闘によって荒れ果て、悲しみによって焼き尽くされた現代史の中のチェチェンにおいては、チェチェン人女性にできた最大の抵抗は、殺された夫の肖像を掲げて集会に参加したり、外国序文にかえてからの代表団を乗せた車の前に身を横たえることくらいでした! このようにして彼女たちは自らの絶望と、あとかたもなく消息をたった息子たちに対する抗議の念を表明したのです。
それではなぜロシアが生きた爆弾.の数で世界の強豪を追い抜き、トップの座にのぼりつめたのかということについて誰も考えようとはしないのでしょうか? 世界に目を向ければ、女性たちは過去にも自爆テロを行っていました。スリランカのテロ組織(「タミール・イラーム解放のトラ」)、トルコのテロ組織(クルディスタンのマルクス主義労働者党)、パレスチナのテロ組織は、約十年間にわたってテロ行為を行う上で女性を利用してきました。たとえば、インドのラジブ・ガンジー首相は女性決死隊員によって暗殺されました(一九九一年)。彼女は爆発装置をサリーの中にひそませていました。またスリランカのクマラトウンガ大統領の暗殺未遂も女性テロリストによって行われました(一九九六年)。
トルコでは(決死隊が参加した最後の戦争は一九九九年に行われました)、三年間のうちに二十人もの若い女性自爆テロ犯が自爆死しました。そしてパキスタンでは二〇〇二年に、新聞社の編集部で女性自爆テロ犯が自らを自爆させ、それによってふたりの人が犠牲になったのです。
イスラエルでは別の史実が記されています。女性自爆テロ犯が参加したテロ行為が最初に起こったのは二〇〇二年、エルサレム市においてでした。女子学生が自らをディスコ内で爆破させ、それによってひとりが死亡し、百名が重軽傷を負いました。そのあとイスラエルとガザ地区の境に位置する検問所でふたりの子供の母親である二十歳のリム・ライシが自らを爆破しました。若い女性はこの行為よって四名のイスラエル人をあの世に道連れにしました。 おそらくもっともセンセーショナルなテロ事件は二〇〇三年十月に、ハイファ市へ入る南の入り口に位置するレストランマキシム.において、パレスチナ人女性が行った自爆テロ事件でしょう。二十九歳のハナディ・ドジャラダトがレストランに入った時、店内は人であふれかえっていました。ハナディはひとりで死んでいったのではありません。彼女は二十一人もの人を道連れにしたのです。
チェチェンとパレスチナの女性決死隊員の動向を観察すると、チェチェンのテロ行為をパレスチナ人女性たちが繰り返していった印象を受けます。これは驚くべき偶然性によるのでしょうか。
最初に女性自爆テロ犯を使ったテロ行為がチェチェンで起こったのは、二〇〇一年の夏のことでした。イスラエルではそれから半年後に起こります。二〇〇三年七月、チェチェン人女性がモスクワのレストラン内で自爆する予定になっていました。それが未遂に終わったのは、彼女が降伏したからです。それから半年後、中近東において同じくレストラン内で自爆テロが決行されたのです。ただし、こちらは成功しています。
しかしここでその類似性は終わります。パレスチナの女シャヒードたちは、自らの民族の苦 悩、自らの信仰と、自らの聖なる地の一片のために復讐をくわだてたいと望む、燃えたぎる溶岩のようにいきり立つ若い女性たちです。
たとえばハナディ・ドジャラダトは、単に信仰の上でつながっている抽象的な兄弟や姉妹のために復讐をしていたのではありません。彼女はイスラエル人によって殺された自分の弟の復讐をしていたのです。しかし、彼女たちは自ら死を選んだのだという点を強調したいのです。自分で死に向かい、そして自爆したのです。ハナディにしても同様です。レストランに侵入するために彼女はレストランの前にいる警備員を殺して中に入っているのです。
それは彼女らの選択でした。恐ろしい選択ではありますが、選択であることに違いはありません。ところがロシアでは、自爆テロを行うチェチェン人女性は、通常自分で死にはしないのです。
遠距離操作で彼女たちは自爆させられます。
チェチェンの女性決死隊たちは、卑劣な方法で殺害されます。そしてそれは独特な恐ろしいロシア=チェチェンのやり方なのです。
中近東の女シャヒードを数えるには、片手の五本指で足ります。パレスチナでは彼女たちの顔は、ハガキやプラカードに載っていたりします。「そして自らの民衆のために死んだのだ」と、街のいたるところで彼女たちはたたえられています。
一方、ロシアではそのことに関しては、皆、口をつぐんでいます。恥ずかしげに黙っています。誰も彼女らの名前を知らないし、なぜ彼女たちが自らを殺す決意をしたのかも知りません。死んだ娘たちについてたずねられると、親は目を伏せます。パレスチナで女シャヒードであることは名誉なことであるのに対して、ここではそれは恥なのです。すべての人間が沈黙しているのです。まるで、ロシアには自らの血に濡れた日々がないかのように。そしてあたかもロシアが、そのミュージカルノルド・オスト.を上演中の劇場人質占拠事件によって数百の人々を弔ったことがないかのように。偶然の通行人、ロック・フェスティバルにやってきた青年たち、そして朝、地下鉄に乗って仕事場に向かっていた人々を、まるでロシアが弔ったことがないかのように。
イスラエルでは生きた爆弾.である女性自爆テロ犯は、さほど頻繁に宙に舞い上がってはいません。そこでの出来事はむしろ単発の銃撃のような様相を見せています。一方、ロシアで今日、起こっていることは、ロケット弾の爆撃のような印象を与えます。
「シャヒードのベルト」を着けた約四十人の決死隊女性、そしてそれによる数百もの犠牲者の数は、パレスチナにとってさえ多すぎます。母親たち、女性たち、姉妹たち、娘たち。そしてこの本の最後のページをめくったら読者の皆さんはなぜ、私がこれらすべてを書かずにはいられなかったかを理解してくれるでしょう。それは黙って見過ごすことはできないものなのです。恥ずかしそうに隠したりしてはいけないことなのです。それは恐ろしい悲しみであり、それについて叫ばずにはいられなくなるような凶事なのです。
かくして二〇〇〇年に、華奢な女の子であるハーバ・バラエワが爆薬を積んだトラックをチェチェン内のロシア軍信号監視所に向けて走らせていた時、いったい本当のところ何が起こったのでしょうか? ハーバはそれによって最初の女シャヒードになりました。
チェチェン人女性たちに何が起きたのでしょう?
私たちにいったい何が起きたのでしょう!
そしてなぜ私たちは貝のように口を閉ざしているのでしょうか!
私は自分の国を爆破している女性自爆テロ犯たちについて書いています。私は読者の皆さんに、彼女たちがいったいどういう人間だったのかを話したいと思います。彼女たちをひとりひとり、面と向かって知っていてもらいたいと思います。そしてどのように、なぜ彼女らが自分自身を爆破させたのかを知ってもらいたいのです。「いったいあなたは彼女たちの何について書こうとするの? 弁明しようとしているの? 私はあの女どもを憎悪するし、呪っているわ。あいつらは私の息子を殺した。そんなの女.だなんて言えない?! 」
いや、彼女たちも女の人です。私たちと同じように。そして私たちの涙も彼女たちの涙も同じように塩辛いのです。
私がこの本の中で書いたのは、そのことです。