書店の写真集の棚に売られていた本だが、見るモノではなく読みモノなんだろう。そのボーダレスさがまた、著者の方達の考えともマッチしおり、なるほどなと思った。
日本ドキュメンタリー写真ユースコンテストに入賞した20代のフォトジャーナリスト3人が写真を撮るようになった経緯や、レンズの向こうの人たち(「取材対象」ではない)との関係づくり、自分自身を語った本だ。巻末に彼らがカメラを向ける世界のことも書かれている。
はじめに表紙を見たとき、副題の『「正解」のない旅へ』って必要なのかと疑問に思った。確かに副題があった方が治まりがいいし、なんとなく格好いい。「正解」がないというのも今どきっぽいので、装丁上必要だったのかと思ったら、実はここが肝だった。。。。。
これまでのフォトジャーナリストは、真実と正解を求め、「真実」を伝える決定的瞬間や、世に知られていないもうひとつの「正解」を伝える努力をしてきた。次の世代への狭間に産まれたロスジェネ世代の私が著者達と同じ20代の頃、そうした「正解」のあり方にぼんやりした不安をもっていた。
なぜそれを「正解」だと言い切れるのか、言い切らなくてはいけないのか、そもそも伝えるモノが「正解」である必要はあるのか、「正解」ってなんだろう? そんな疑問を持ちながらも、先輩方のやり方がそれこそ正解なんだと思おうとしていたし、思っていた。
この本の著者3人は、違う。
自分たちの「旅」(そもそも取材ではなく、「旅」なのだ)に「正解」がないことを知っていて、「正解」を探すプロセスにこそ伝えるべきものがあると信じている。自分たちの伝え方に疑問も怯えもはない(ように見える。あるかもしれない)。
この本の中で、幸田大地さんは「写真は、撮影された瞬間から、見る人の意識の中で完成する。そして、そこに写る事実以上のものとして、見た人の中で新たな「始まり」をみせる」と書いている。まったくもってその通りだし、それを憂いなく言え、その上で写真に撮影者として責任を持とうとする彼らは頼もしい。そして、少し羨ましくもある。
巻末(というか第4章)に、3人のフォトジャーナリストの写真の背景、国の歴史や現状が、彼らの言葉で書かれている。この章はとても短いが、簡潔に分かりやすく書かれていて非常に面白かった。
インターネットを介せば、世界中の情報が瞬時に手に入れられる。発信もできる。日本人であれば性能の良いカメラを手に入れることなんて簡単だし、街の歩行者のほぼ全員がカメラ機能付きの携帯電話を所持してるだろう。テレビの放送番組などでは、視聴者撮影映像が決定的瞬間の映像として使用されている。これまでの取材のやり方が通用しない社会になっているのだとしたら、著者のようなニュータイプの登場は当然と言えば当然なのかもしれない。
そんな若手フォトジャーナリストが育った、10年、20年後はどうなっているのだろう。
これから世界がどちらに進むのかは分からないが、不安の中にも小さな希望を感じることができる一冊だ。