アグネス・チャンは、まぎれもなく70年代前半の日本歌謡界を代表するトップアイドルであり、また最高のメルヘンシンガーだった。故郷の地香港ではすでにスターの地位にあった彼女が来日して「香港から来た妖精」のキャッチフレーズでデビューしたのが1972年11月。歌は「ひなげしの花」である。このデビュー曲は、歌としては決して高い水準のものではなかった。まず曲が短く、さびでも大きな盛り上がりを見せない。歌詞も平易で、凝った表現も使われていない。これは当時のアグネスが日本語がまったくできなかったという事情も大きい。ローマ字でつづられた歌詞を渡された彼女が歌った冒頭は「おッかのうえ ひンなげしのはァなで〜」だった。しかし彼女特有の、細くて高いファルセットの澄んだ歌声は、多くの日本のファンの耳に心地よく響いて、その心を捉えることに成功する。またその愛くるしいルックスと清楚な容姿も、衣装をロングからミニスカートと白いハイソックスに変えることで、一段とその魅力を増幅したのである。何よりメルヘンチックな曲調と歌詞がアグネス・チャンのイメージにぴったりはまっていたのは言うまでもない。
アイドル・メルヘンシンガーとしてのアグネス・チャンは翌73年、二曲目の「妖精の歌」で確立され、同年、三曲目の「草原の輝き」で早くも頂点に到達する。彼女はこの曲で「日本歌謡大賞 放送音楽新人賞」「日本レコード大賞 新人賞」に輝いたのである。
アグネスの歌には、太陽、風、草原、丘、小川、小鳥など、まさにメルヘンには定番といえる自然情景が何度も出てくる。その反面、直接的な愛の行為、たとえば口づけとか抱擁などはまったく歌われていない。日本のデビュー時にすでに18歳で、当時のアイドルとしては年長の存在であったにもかかわらず、清純・健全から出発した彼女のアイデンティティは以後も変わることがなかった。このことは同時代のアイドルの山口百恵や、主演映画でのキスシーンも拒否した伝説を持つ桜田淳子にさえ見られない。
さて歌手としてのアグネス・チャンの最大活躍期は、72年のデビューから76年の足掛け4年であるが、このアグネス・チャン ベストアルバムには、彼女の全盛期のヒット曲はもちろん、歌手として事実上の終止符をいったん打った85年のシングルまでが収録されている。オリコン第1位ながらその後あまり歌われなかった「小さな恋の物語 」。妖精のイメージからのマイナーチェンジを図った「白いくつ下は似合わない 」や、本質的に明るさが持ち味だったアグネスには珍しい、暗さ一辺倒の異色作「冬の日の帰り道」なども入っていて、彼女の歌手活動のほぼすべてをカバーした内容と言える。それとおまけ的に「手のひらの愛(チェルシーの歌)」も最後に加えられているが、この有名なCMソングも、彼女の声で歌われたときにこそ、間違いなく最高のものに昇華したのである。
アグネス・チャンの歌声とともに青春時代を過ごした人たちには当然のこと、彼女を知らない人たちでも、聴けば心に残る曲が必ず見つかると思う。実際、アグネスの歌は平成になってからでもCMに使われているし、時代や世代を超えて、いまだに輝きを失っていない曲が多いのである。
現在のアグネス・チャンは、歌手・エッセイスト・教育学者とマルチタレントの活躍を見せているが、唾液腺腫瘍と乳癌を罹患したこともあって(特に前者の影響が大きい)、かつての美しい歌声をかなり失っている。それだけにこのアルバムに記録された彼女のフェアリーヴォイスをとてもいとおしく思うのは、きっと私だけではあるまい。