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6 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
動機に飢えた事件,
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レビュー対象商品: アキハバラ発〈00年代〉への問い (単行本)
もうあれから約一年が経とうしている。アキハバラで昨年(08年)に起きた連続通り魔殺傷事件について、各界の著名な批評家、評論家があらゆる角度から書いた論集。さすが、「各分野 についてはこの人に聞け」という人たちばかり。納得のいく分析や説明がなされている。たし かに納得できる。なるほどと、ヒザをうつ箇所もある。 ただしかし、心の底からこの事件についてあった、胸のつかえのようなものが落ちたとも、必 ずしも思えない。この本を開く前の僕と、読み終えた後の僕。知っている事実の数は増えただ ろうが、この事件に対してもつ不可解さからは、実はなにも抜け出せていないのだ。 家庭問題、雇用問題、コミュニケーションの問題。そのどれか一つでもないし、全てだとだとも いえない。一番手っ取り早いのは、K容疑者の前にノートでも置いて「書け!」ということなのだ ろうが、もしかすると彼にだって自分がなぜあんな凶行を起こしたのかわかっていないのかも しれない。 僕は思うにむしろこの事件は、動機を欲した事件ではないか。事件前のネットでの書き込みを 見る限り、彼は事件後にこの手の分析本が出版されるだろうということ、言ってしまえば「こ うなること」は織り込み済みだったのではないか。各界の著名な評論家に彼は「心理」を分析 され、事件の「腑分け」がなされていく。重要なのは、その解剖結果の正否ではない。解剖さ れることそのものなのだから。 おそらくこの手の本を最も待望していたのは、彼自身だったのだろう。あらゆる著作家が、彼 というデータベースに分析を羅列していく。彼はそれを想像し、得も言えぬ快感を得ているの ではないだろうか。 東浩紀など、そのことについて指摘する評論家も中にはいる。しかし、それでもこのことに対 して黙して語らず、と言う態度はできないと彼は語る。それが知識人としての彼の答えなのか もしれない。しかしだからといって彼がそれで、Kの「データベース生成欲望」から逃れられて いるといえるかというと、そうとは言い切れないような気がする。
23 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
事件を社会学的に見た本,
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レビュー対象商品: アキハバラ発〈00年代〉への問い (単行本)
犯人が派遣労働者、昔の期間工であったこと(グローバル化・非正規雇用)、携帯依存症のようにネットに書き込みをしていたこと(ネット社会)から、この秋葉原無差別殺人事件は、今の時代を象徴する犯罪事件としてクローズアップされた。本書は、気鋭の社会学者やジャーナリストによる事件評を編集した、力の入った本である。 ただ、「週刊現代」に掲載された犯人の弟の手記によれば、犯人の人格形成には、異常に抑圧的な母親の存在が大きい。いわく、「ドラえもん」「まんが日本昔話」以外のテレビは見せない、まったく会話のない食事風景、作文は全て母が添削、母の卒業校である名門進学校に進んだ時は喜んだが、成績が下がると無視。など、これではひねくれても不思議ではない家庭環境がつづられている。犯人いわく「母に捨てられた」。 もちろん、派遣労働の過酷な実態や、ネット依存の問題は別に語られなければならないが、それを持って犯行にひもづけるのは無理があるというものだろう。 一部の評では、幼女連続殺害の宮崎勤被告と「オタク」の関係に匹敵する、時代を象徴する事件だとの表現もあるが、宮崎事件の時も、異常な犯人の趣味がたまたまオタク的なだけであっただけで、オタクがみな殺人願望があるほど異常なわけではない。 本書が緊急的に出版された中での力作であることは認めるが、寄稿している執筆者の意見もバラバラだし、どちらかというと書斎から評論している感はぬぐえない。願わくば同じような職場環境やネット依存の若者の声も取材してほしかった。
17 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
難解な事件を理解するために必要な論とは何かについて思いがいたる,
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レビュー対象商品: アキハバラ発〈00年代〉への問い (単行本)
2008年6月に東京・秋葉原でK容疑者がひきおこした無差別殺傷事件をどう見るべきかをテーマに、作家や社会学者、ジャーナリストや精神科医など22人が寄せた論考集です。概して言うと、学級肌の硬質な文章が多く、秋葉原事件のように理解しがたい事件を究明しようとする際に陥りがちな、衒学的で非庶民的な印象が強い本に仕上がっていると思います。 ですから、本書にあたっても、私をはじめとする一般的な市井の読者は、胃の腑に落ちるようなすっきりとした明快な読後感を得られないでしょう。 それでも、平易で読者を選ばない文章を寄せている論者も一部います。 例えば作家の雨宮処凛(かりん)。彼女の文章を読むと、プレカリアート運動として横の連帯をきちんと醸成するだけのものが東京にはあっても、K容疑者の暮らす地方都市にはまだまだ存在していない、そのことの問題点に目がいき、心痛む思いがします。 反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠の文章も目をひきます。こうした悲惨な事件を起こしてはならないという声をあげるそばで同じ人が、「でも企業のグローバル化は止めようがなく、低賃金・不安定雇用が増えるのは仕方がない」と言うことの偽善を指摘しています。 総じて思うに、難解な事件を難解な言辞でみつめても、何も見えてこないし、普通の人々を遠ざけるだけではないのでしょうか。 ですから雨宮や湯浅のように普通の人々の言葉で語ろうとする姿勢には理解も共感も寄せることができる一方で、本書の大半の執筆者はなにか閉じたサークルの中で論を弄しているだけにしか、---少なくとも普通の読者である私には--見えないのです。 論者の皆さんには、もっと下へ降りてきてもらうことが必要なのではないでしょうか。
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