もうあれから約一年が経とうしている。アキハバラで昨年(08年)に起きた連続通り魔殺傷事
件について、各界の著名な批評家、評論家があらゆる角度から書いた論集。さすが、「各分野
についてはこの人に聞け」という人たちばかり。納得のいく分析や説明がなされている。たし
かに納得できる。なるほどと、ヒザをうつ箇所もある。
ただしかし、心の底からこの事件についてあった、胸のつかえのようなものが落ちたとも、必
ずしも思えない。この本を開く前の僕と、読み終えた後の僕。知っている事実の数は増えただ
ろうが、この事件に対してもつ不可解さからは、実はなにも抜け出せていないのだ。
家庭問題、雇用問題、コミュニケーションの問題。そのどれか一つでもないし、全てだとだとも
いえない。一番手っ取り早いのは、K容疑者の前にノートでも置いて「書け!」ということなのだ
ろうが、もしかすると彼にだって自分がなぜあんな凶行を起こしたのかわかっていないのかも
しれない。
僕は思うにむしろこの事件は、動機を欲した事件ではないか。事件前のネットでの書き込みを
見る限り、彼は事件後にこの手の分析本が出版されるだろうということ、言ってしまえば「こ
うなること」は織り込み済みだったのではないか。各界の著名な評論家に彼は「心理」を分析
され、事件の「腑分け」がなされていく。重要なのは、その解剖結果の正否ではない。解剖さ
れることそのものなのだから。
おそらくこの手の本を最も待望していたのは、彼自身だったのだろう。あらゆる著作家が、彼
というデータベースに分析を羅列していく。彼はそれを想像し、得も言えぬ快感を得ているの
ではないだろうか。
東浩紀など、そのことについて指摘する評論家も中にはいる。しかし、それでもこのことに対
して黙して語らず、と言う態度はできないと彼は語る。それが知識人としての彼の答えなのか
もしれない。しかしだからといって彼がそれで、Kの「データベース生成欲望」から逃れられて
いるといえるかというと、そうとは言い切れないような気がする。