アガサ・クリスティーが、作品執筆にあたって参考にしたり、アイデアやプロットを整理したりする備忘録として使用していたノート。全部で73冊のノートを、グリーンウェイ・ハウス(クリスティーが、週末や夏の別荘として使った屋敷。詳しく知りたい方には、平井杏子『アガサ・クリスティを訪ねる旅』がおすすめ)で見つけた著者が、“ミステリの女王”の創作の秘密、作品が生まれるその道筋を検証していく研究書。クリスティーのミステリの大ファンである著者の熱意はもとより、丹念かつなかなか鋭い検証の跡が示されていて、読んでいてわくわくしました。著者のガイドに従って、クリスティーの思索の跡をたどっているみたいな感じ。
本書(上巻)の次の個所など、とりわけ興味深く、「なるほどなあ」と頷かされましたね。
<作品のためのメモが書かれたのが出版より何年も前というケースが数多く見受けられる。> p.77
<作家としての生涯を通じてクリスティーが持ちつづけた最高の才能のひとつは、基本的なアイディアをもとにして、ほぼ無限といってもいいバリエーションを生みだす力だった。> p.86
<混沌がクリスティーの精神の糧(かて)となり、整然たる秩序などより大きな刺激となった。秩序に縛られると、クリスティーの創造のプロセスは死んでしまう。> p.111
それと、本書巻末に掲載されたポアロものの短篇「ケルベロスの捕獲」。これは、『ヘラクレスの冒険』収録のものと全く別のストーリーになっていて、諸事情により、出版社が掲載を見合わせた初期バージョンです。で、今回、『ヘラクレスの冒険』収録の第二バージョンと読み比べてみました。私は、穏健で普通の出来映えである第二バージョンよりも、過激で異色の初期バージョンのほうが、数段面白く、楽しめました。短篇ではありますが、ポアロものの思わぬ掘り出し物と言ってもいいのではないでしょうか。